今回は、アメリカの歴史上、著名な政治活動の雛形ともなったと言われている、1932年のボーナス・アーミー(Bonus Army)を取り上げたいと思います。このボーナス・アーミーは、第一次世界大戦に参加し帰還した1万7千人の退役軍人やその家族達、さらに関連団体を含む合計4万3千人以上の人々が、約束された従軍慰労金(ボーナス)の繰り上げ支払いを求めて、ワシントンDCに集まったグループのことです。
もともと1924年に米国では、第1次世界大戦(1914-1918)に従軍した兵士達に対して、1日1ドル程度の従軍慰労金(ボーナス)を預託して、1945年に元兵士達に支払うという、世界大戦調整補償法(World War Adjusted Compensation Act/Bonus Act, )が定められていました。しかしながら、世界恐慌(1929年から1930年代後半まで)の影響で失業者が増大し、退役軍人たちも困窮していったため、もともと将来に支払いが約束されていた、従軍慰労金(ボーナス)は早期に支払われるべきであるという動きが広がりました。オレゴン州出身で、元軍曹であった、ウォルター・W・ウォーターズ(Walter W. Warters:1898-1959)を中心に、退役軍人たちが、貨物車に乗ってワシントンDCに向かったことがニュースで全米に流れると、各地域に住んでいた退役軍人たちもそれ呼応することになりました。
この運動体は、第1次世界大戦中のアメリカ遠征軍(American Expeditionary Force)になぞらえて、ボーナス遠征軍(Bonus Expeditionary Force:BEF)と呼ばれました。
(参照:Walter W. Waters, Commander of the Bonus Expeditionary Force – 1932:
新年あけましておめでとうございます。昨年は大変お世話になりました。今年も何卒よろしくお願い申し上げます。
昨年12月に続いて今回も戦後まもなくの東京の風景に関する写真をご紹介したいと思います。
下の写真は、戦後まもなくのバスです。使えるガソリンが限られていたため、1台目にガソリンを入れて、2台目をけん引しながら、人々を乗せていました。またガソリンだけではなく、木炭を燃やしてバスを動かしていたこともわかります。木炭を燃やし、そこから発生する一酸化炭素ガスとわずかな水素を集めたものを燃料としたようです。木炭車は、第2次世界大戦前後から戦後まもなくまでは普及していたようです。