日本の年度末なので、米国国立公文書館の資料調査や収集事業について追い込み作業となり、毎日2階のテキスト資料や4階の映像資料、そして5階の写真資料の各リサーチルームを行ったり来たりしていました。そうした中で、5階の写真資料室の壁に掲げられている写真の1枚にふと目が留まりました。

Logan Appany, Bannock. 1897. No. 75-SEI-59. RG 75, Records of the Bureau of Indian Affairs
1793 – 1999, Portraits of Indians from Southeastern Idaho Reservations, 1897 – 1897. NAID: 519250.
National Archives in College Park, MD. https://catalog.archives.gov/id/519250
この写真は、当時アイダホ州のバンノック郡( Bannock County)に住んでいた、ローガン・アパニー(Logan Appany)というネイティブ・アメリカンの男性のものです。刺繍がほどこされた美しい伝統的民族衣装を身にまとい、少し横向きに座っている姿は凛として、とてもスタイリッシュな印象です。精悍な風貌の中にも優しさも見えるような、なんとも魅力的な写真であると思いました。
この写真を調べてみると、米国内務省のインディアン事務局の資料であるレコードグループ75という資料群の中の、アイダホ南東部居留地のインディアンの肖像写真というシリーズ(RG75SEI)の中のものでした。(Record Group 75 Records of the Bureau of Indian Affairs
1793 – 1999 Series Portraits of Indians from Southeastern Idaho Reservations 1897 – 1897: https://catalog.archives.gov/id/519191)
このシリーズの写真は、アイダホ州のポカテロという町に写真スタジオを構えていたベネディクト・レンステッド(Benedicte Marie Wrensted: (1859-1949)が撮影したものであるということが、1984年に、スミソニアン協会の『北米インディアン・ハンドブック』プロジェクトに携わっていた人類学者のジョアンナ・シェーラー(Joanna Cohan Scherer: Smithsonian Institute Researcher)
によって確認されたそうです。ベネディクト・レンステッドという写真家は、デンマーク出身で、叔母から写真を学び、スタジオももっていましたが、1894年にアメリカのアイダホ州ポカテロに移り住み翌年にはスタジオを設けて、地元の人々やネイティブ・アメリカンの人々の写真を撮り続けて1912年にカリフォルニアに移ったそうです。(参照:上記のNARAサイト及びInstitute for Indigenous Knowledge Indiana University Bloomingtonの中の
Benedicte Wrensted: An Idaho Photographer in Focus:https://indigenousknowledge.indiana.edu/scherer/Wrensted/; Biography and History:https://indigenousknowledge.indiana.edu/scherer/Wrensted/biography-history.htm )
米国国立公文書館にあるこのシリーズ(RG75SEI)には148枚の写真があり、すべてデジタル化されています。それらのいくつかを以下ご紹介したいと思います。

Jimmie Sequint, Northern Shoshone. 1897. No. 75-SEI-133. Records of the Bureau of Indian Affairs
1793 – 1999, Portraits of Indians from Southeastern Idaho Reservations, 1897 – 1897. NAID: 519324.
National Archives in College Park, MD. https://catalog.archives.gov/id/519324
上の写真も見事な刺繍の伝統的な衣装と精巧な飾りものを身に着けた、誇り高き男性の姿で、見るものを圧倒する力があると思います。下の写真の2枚の女性の写真も凛とした美しさを表現してとても魅力的だと思います。


Left: Minnie Camas Willie, Weiser-Shoshone. 1897. No. 75-SEI-16. RG 75, Records of the Bureau of Indian Affairs1793 – 1999, Portraits of Indians from Southeastern Idaho Reservations, 1897 – 1897. NAID: 519207.
National Archives in College Park, MD. https://catalog.archives.gov/id/519207
Right: Member of Soyouma Family, Bannock. 1897. No. 75-SEI-86. Records of the Bureau of Indian Affairs1793 – 1999, Portraits of Indians from Southeastern Idaho Reservations, 1897 – 1897. NAID: 519277.
National Archives in College Park, MD. https://catalog.archives.gov/id/519277


Left: Unidentified Couple, Nez Perce. 1897. 75-SEI-123. RG 75, Records of the Bureau of Indian Affairs1793 – 1999, Portraits of Indians from Southeastern Idaho Reservations, 1897 – 1897. NAID: 519314.
National Archives in College Park, MD. https://catalog.archives.gov/id/519314
Right: Lamar Pokibro and Family, Bannock. 1897. No. 75-SEI-63. RG 75, Records of the Bureau of Indian Affairs1793 – 1999, Portraits of Indians from Southeastern Idaho Reservations, 1897 – 1897. NAID: 519254.
National Archives in College Park, MD. https://catalog.archives.gov/id/519254


Left: Helen Edmo, Bessie Edmo (Judson), Lizzie Randall Edmo, Eugene Edmo, Jack Edmo, Northern Shoshone, Bannock. 1897. No. 75-SEI-93. RG 75, Records of the Bureau of Indian Affairs1793 – 1999, Portraits of Indians from Southeastern Idaho Reservations, 1897 – 1897. NAID: 519284.
National Archives in College Park, MD. https://catalog.archives.gov/id/519284
Right: Watson Family Members, Alex Watson (Far Back), Lemma Shoshone. 1897. No. 75-SEI-9. RG 75, Records of the Bureau of Indian Affairs1793 – 1999, Portraits of Indians from Southeastern Idaho Reservations, 1897 – 1897. NAID: 519200.National Archives in College Park, MD. https://catalog.archives.gov/id/519200


Left: Leonard and Eugene Edmo, Northern Shoshone. 1897. No. 75-SEI-15. RG 75, Records of the Bureau of Indian Affairs1793 – 1999, Portraits of Indians from Southeastern Idaho Reservations, 1897 – 1897. NAID: 519206.
National Archives in College Park, MD. https://catalog.archives.gov/id/519206
Right: Tyhee Child, Bannock. 1897. No. 75-SEI-43. RG 75, Records of the Bureau of Indian Affairs1793 – 1999, Portraits of Indians from Southeastern Idaho Reservations, 1897 – 1897. NAID: 519234.
National Archives in College Park, MD. https://catalog.archives.gov/id/519234
上の6枚の写真は、カップルや家族と子どもたちの写真で、こうした写真もとても重要なものだと思います。これらの写真を含めて当時のアイダホ州に住んでいたネイティブ・アメリカンの人々の肖像写真を写真館で撮影するということは、こうした人々にわざわざ写真館に来てもらうことが前提ですから、こうした人々と、撮影者であったベネディクト・レンステッドという写真家との間に信頼関係もできていなければできなかったことであったと思います。
米国のネイティブ・アメリカンの歴史を考えると、アメリカ合衆国が成立した以前の、15世紀末のヨーロッパ人によるアメリカ大陸到達から始まり、16世紀から17世紀にかけては、彼らの土地が、たくさんの白人入植者たちによって植民地化されていく中で壮絶な戦いが繰り返えられてきました。18世紀には、イギリス領アメリカ植民地とフランス領アメリカ植民地との戦争であったフレンチ・インディアン戦争(1754-1763)やアメリカ独立戦争(1775-1783)があり、そこではそれぞれの勢力がネイティブ・アメリカンの部族を戦力として使うために同盟を結び、たくさんのネイティブ・アメリカンが犠牲になりました。
19世紀に入ってから米英戦争(War of 1812: 1812-1815)が起こり、その時に、「イギリスと米国のネイティブ・アメリカンが同盟を結び、武器その他の他の支援を行なってアメリカ人(白人)の西部開拓を妨害している。」といった口実のもと、当時軍人でのちの大統領となったアンドリュー・ジャクソン(Andrew Jackson: 1767-1845) は、たくさんのネイティブ・アメリカンを虐殺したと言われています。この彼が、7代目の大統領となってから1830年にインディアン移住法(Indian Removal Act)を成立しさせ、綿花栽培を望む白人入植者のために、ジョージア、テネシー、アラバマ、ノースカロライナ、フロリダの何百万エーカーもの土地、何世代にわたって住んでいたの人々が、強制的に、ミシシッピ川対岸の特別に指定された居留地まで何百マイルも歩かされ、このとて大変困難であった旅で、多くのネイティブ・アメリカンが命を落とすことにもなり、その旅は「涙の道(Trail of Tears)」として知られています。こうした時代のあとは、米国政府は、ネイティブ・アメリカンに同化政策(土地の割り当て、子ども達へのアメリカ的教育の提供や寄宿学校への収容など)を推進していくようになりました。
(参照:Native American History:https://www.history.com/topics/native-american-history)
そうした歴史を踏まえると、今回ご紹介した写真が撮影された時代-1897年は、様々な殺戮の時代からだいぶ落ち着いてきた時代であったかとも思われ、もちろんアイダホ州という州の特色もあったかもしれませんし、普通の人々の生活のレベルでは、当時の白人とネイティブ・アメリカンとの交流ももっとさかんであったかもしれません。さらには、ベネディクト・レンステッドという写真家自身が、ネイティブ・アメリカンの文化に興味を持ち、真摯に対応しようとしていたかもしれません。
米国国立公文書館にある、米国内のネイティブ・アメリカンに関する写真は、このインディアン事務局の資料群であるRG75の中に、たくさんのエントリーに分かれた形であります。時代で分かれているものもあれば、各部族で分かれているものもあり、デジタル化されているのはまだ一部です。また、米陸軍通信部の資料群であるRG111(Records of the Office of the Chief Signal Officer)や、スミソニアン博物館資料群であるRG106(Records of Smithsonian Institute)他にもネイティブ・アメリカンの写真があります。さらには米国議会図書館にもありますので、また別の機会を通じて少しずつご紹介できればと思います。(YNM)