戦後まもなくの東京の風景 その1

コロナ禍に見舞われた2020年3月からすでに、丸4年以上の歳月が経ってしまいました。米国国立公文書館の状況もすっかり落ち着き、予約制度は今も推奨されていますが、今年2月以降は、予約なしでも入館できるようになっています。今後もこの状態が続くようにと願っています。

 

さて、2か月ほど前のことですが、たまたま目にした、東京都のサイトから、米国の旅行雑誌の一つである、「Condé Nast Traveler(コンデナスト・トラベラー)」に読者投票ランキングの結果、東京が第1位になったという事を知りました。(東京都:https://www.metro.tokyo.lg.jp/tosei/hodohappyo/press/2024/10/02/07.html

Condé Nast Traveler :The Best Cities in the World: 2024 Readers’ Choice Awards:https://www.cntraveler.com/gallery/2014-10-20top-25-cities-in-the-world-readers-choice-awards-2014

 

日本に一時帰国する度に、東京をはじめ、いろいろな地域がどんどん変わり、新しいものがどんどん出てくる一方で、古いものや馴染みがあるものがどんどん無くなっているようにも思え、どことなく寂しさも感じてきました。が、それでも、東京生まれの私としては、東京の面白さや良さを感じる外国人の方々が多いということを知ることは素直にうれしいと思いました。

 

米国国立公文書館には、戦後まもなくの東京の様子を撮影した写真がたくさんあります。今回は、そうした写真のいくつかをご紹介したいと思います。

 

下の2枚の写真は、東京駅構内と周辺のものです。東京も焼け野原になったとはいえ、鉄道は動いており、人々にとっては重要な足でした。また、当時は、日本人一般の男性は国民服きており、それはいわゆる軍服とは異なるものでしたが、日本に到着したばかりの占領軍から見れば、そうした区別もできなかったようで、キャプションには、少年たちが軍服を着ているとキャプションに書いています。

 


Left: Crowed Japs (the word is written as is.) at the Tokyo R.R. Station where trains are practically the only available means of transportation. Note young boys in uniform of the Japanese Army. 9/2/1945. Photo No. 210909. Box 288. 

 

Right: American MPs of the 1st Cav, Div, maintain order and prepare for any eventually here the Tokyo Railroad Station. They can be seen mingling with discharged Japanese soldiers at the station. 9/18/1945. Photo No. 215802. Box 305. 

 

Both photos are from RG111SC (Records of Signal Corps WWII and After photographs), National Archives in College Park, MD. 

 

空襲によって東京の建物や家は灰燼に帰したところも多かったと思いますが、戦争を生き延びた人々にとっては、食料をはじめ、いろいろな物資が不足していた中で、生きていくことは想像を絶するような困難に直面していたかと思います。下の写真は空襲で破壊された場所に、野菜を植えて食べ物を自給しようとしていた人々の努力、また路上でいろいろなものを売る人々の努力が伺われるものです。

 


Left:These vegetable gardens flourish in the midst of the ruins of Tokyo, 9/15/1945. Photo No. 214937. Box 302. 

Right: The stores gone, but there is business as usual on the streets of Tokyo. 9/15/1945. Photo No. 214938. Box 302.

Both photos are from RG111SC (Records of Signal Corps WWII and After photographs), National Archives in College Park, MD. 

 

戦後直後は、それまでの配給制はすでに崩壊していたので、戦争を生き延びた人々は、公的な流通経路では物資を入手することができず、当時いろいろな場所にできていた闇市を通じて、物資を入手せざる得ませんでした。東京では、まず、新宿、池袋、渋谷、新橋、上野などの主要な駅周辺に開かれるようになりました。そこでは、近郊の農村から買い出しによってもちこまれた食料はもちろん、横領された軍事物資や、占領軍からの横流しされたものや、衣類や雑貨、たばこや医薬品や書籍などいろいろなものが売られていたようです。

 

下の写真は、関東松田組というテキヤ(的屋)集団によって運営されていた新橋駅周辺の闇市の様子です。看板には、“The Tokyo City The Sinbashi Outside Free Market, Matsuda-Gimi, Atago, P.S. 消費者ノ買イ良イ、民主的自由市場、御気付ノ點(点)ハ投書箱へ何事御教示下サイ。”と書かれており、とても興味深いと思いました。そこではもちろんまずはお金がないと何も買えないことになりますが、当時の中央政府や地方政府に頼ることができなかった社会情勢ではこうした闇市はある意味で、戦後復興を根底から支えていたところもあったかと思います。キャプションには、あくまで“Public Market”として書かれており、闇市(Black Market)と書かれてはいないので、当時の行政側はこの闇市を認めざるを得なかったからではないかと思います。

 


Top: The only real public building in the Shinbashi Public Market, Tokyo, Japan. The center of the Market. Handling all public matters for Japanese civilians, the building is located a few yards from the Shinbashi Train station. 2/13/1948. Photo No. 233699. 

 

Bottom left: A west view of the Shinbashi Public market as seen from the Shinbashi station, Tokyo, Japan. 2/23/1946. Photo No. 233700. 

 

Bottom right: Long view looking north at the Shinbashi Public Market, Tokyo, Japan. Taken from the Shinbashi Train station. Huge crowds can ben seen at all hours, engaged in either buying selling of just looking. 2/13/1946. Photo No. 233698

 

All of the 3 photos from RG111SC (Records of Signal Corps WWII and After photographs), National Archives in College Park, MD. 

 

東京に関する写真の中には、銀座に関するものも多いと思います。下の2枚は、銀座4丁目の交差点の服部時計店(現 和光ビル)の前の写真と、銀座通りから服部時計店を撮影した写真です。これらの写真をみただけではわかりませんが、戦時中の1945年1月27日に、銀座や有楽町といった繁華街への空襲があり、530名以上の方々が亡くなったと言われています。

 


Left: The Ginza, Broadway of Tokyo is active with Japanese civilians and GIs. 10/12/1945. Photo No. 216728. Box 308. 

 

Right: View looking down the world famous “Ginza” Tokyo, Japan with Tokyo P.X. in the background. 10/10/1946. Photo No. 281915 Box 541. 

 

Both photos are from RG111SC (Records of Signal Corps WWII and After photographs), National Archives in College Park, MD. 

 

占領軍の兵士達が、銀座を闊歩する様子の写真もありました。下の最初のうち写真の左側にある電柱には、おそらく選挙演説情報だと思いますが、戦前は農民運動家であり、戦後は社会党に属した賀川豊彦(1888-1960)や、右翼活動家として知られていた児玉誉士夫(1911-1984)といった名が記された張り紙が見えます。右側のビルには、「政治を大衆へ返せ。」といった呼びかけポスターも見えます。

 

また、下の2つ目の写真には、「銀座幸楽」ビルの入り口に、「特殊慰安婦施設協会事務所」とあり、その周りには、「募集、芸妓 3000名」、「社交舞踏教師、募集」、「ダンサー 2000名、女給3000名、募集」といった張り紙が見えます。この特殊慰安婦施設協会とは、英語では、Recreation and Amusement Association (RAA)と呼ばれ、単純に直訳すれば、余暇及び娯楽協会ということになりますが、本当の意味は、占領軍兵士のための慰安所でした。慰安所だけでなくキャバレーやビアホールも作られました。この特殊慰安婦施設協会についてはまたいつか別の機会に記事を書いてみたいと思います。

 

Top: The “fleet has loaded.” A group of sailors take in the sights in Tokyo’s shopping district. 10/12/1945. 

Photo No. 216730. Box 308. 

 

Bottom: Sailers and GIs in the favorite American pastime, “sightseeing” on a main street in Tokyo’s shopping district. 10/12/1945. Box 308. 

 

Both photos are from RG111SC (Records of Signal Corps WWII and After photographs), National Archives in College Park, MD 

 

東京に関する戦後の写真はまだたくさんあり、ここでは紹介することができませんが、次回は戦後まもなくの選挙関係を中心に写真をご紹介したいと思います。

 

今年も大変お世話になりました。2025年もいろいろな挑戦があると覚悟をしていますが、引き続き前向きに頑張っていきたいと思っています。何卒よろしくお願い申し上げます。(YNM)