第1次世界大戦前後の日本赤十字関係の写真

ある調査で、米国国立公文書館や米国議会図書館のサイトを検索していたときに、たまたま、日露戦争中に活動していた日本赤十字の看護婦の写真を見つけました。なので、今回は、その写真とともに主に第1次世界大戦前後の日本赤十字関係の写真をご紹介したいと思います。

 

[Japanese Red Cross nurses at Chemulpo attending Russian soldiers wounded in battle of Feb. 9] c1904. Control No. 2005679332. Library of Congress, Prints and Photographs Division Washington, D.C.  https://www.loc.gov/item/2005679332/

 

日露戦争の陸上での主な戦場は中国の遼東半島や満州地域や朝鮮半島でした。上の写真は、Chemulpo(チェムルポ/済物浦、現仁川/インチョン)でロシア兵を看護する日本赤十字の看護婦の写真です。とても貴重な写真だと思います。

 


Left: Dunant, (Jean) Henri (1828-1910). A Swiss author and philanthropist, founder of the Red Cross society. He was born in Geneva and conceived the idea of founding a society for aiding wounded soldiers while visiting the scene of the battle of Solferino. He wrote "Un Souvenir de Solferino" in 1862, and delivered lectures advocating relief in war before the society of public utility in Geneva. Soon afterward a meeting was held in that city which resulted in the Geneva Convention (1864) and the establishment of a permanent international committee. In 1864 the cooperation of 10 governments had been obtained, and the Red Cross society was officially established (Aug. 22, 1864). Dunant bestowed his entire fortune on various charities. In 1901 he shared the first Nobel peace prize with Frederic Passy. 8/25/39. Control No. 2017680242. . Library of Congress, Prints and Photographs Division Washington, D.C.

https://www.loc.gov/item/2017680242/

 

Right: A memory of Solferino : Un souvenir de Solferino, J. Henry Dunant” 1947. London : Pub. by Cassell for the British Red Cross Society. Identifier: b29978877. Internet Archives, San Francisco, CA 94118. https://archive.org/details/b29978877/mode/2up

 

 

左上の写真は、スイスの実業家であった、ジャン・アンリ・デュナン(Jean Henri Dunant、1828-1910) の晩年の写真です。赤十字社は、彼によって1863年に創設されました。デュナンの一家はもともと福祉活動に熱心であり、彼も若い時からいろいろな福祉活動に関わっていたと言われています。彼は、当時、フランスの植民地であったアルジェリアの人々の生活を助けるために農業や事業を展開しようとしていましたが、水の利権を獲得することができず、その請願をするために、1859年、当時イタリアの統一戦争を支援していたフランスのナポレオン3世に会いに戦地のイタリアへ行きました。そこで、彼は凄惨な戦闘で路上にあふれていたたくさんの死傷者の姿に愕然として、地元の女性達とともに彼も看護活動に参加しました。その時の体験をまとめたものが、『ソレフェリーノの思い出』(”Un Souvenir de Solferino” A Memory of  Solferino)というもので、この本を出版し、敵味方の区別を超えて、誰もが救済されなければならないこと、またそうした活動をする組織を設立することの重要性を説きました。これが、1863年の赤十字社の創設、そして1864年の国際人道法と呼ばれるジュネーブ条約によって正式な赤十字国際員会ができました。

 

1867年にパリで国際博覧会が開催され、当時の日本は幕末動乱期のさなかでしたが、日本としては初めての参加となり、当時の江戸幕府、薩摩藩、佐賀藩が参加しました。この時の佐賀藩の代表の一人としてパリを訪れた佐野常民(さのつねたみ)は、そこで赤十字という組織の存在に感銘をうけたと言われています。1877年、西南戦争が起こったときに、彼は、敵味方の区別なく負傷者を救護するための博愛社を設立しました。この博愛社が日本赤十字の前身となり、1887年、正式に日本赤十字社になりました。

 

佐野常民についての詳細は、こちらのサイトをご覧いただければと思います。

*日本赤十字社、歴史・沿革:https://www.jrc.or.jp/about/history/ 

*佐野常民生誕200年:日本赤十字を創った男の素顔:https://www.jrc.or.jp/webmuseum/column/sano-200th/

 


Left: Headquarters of the Red Cross Society of Japan. 1/23/1919 date received. Control No. 2017668847. Library of Congress, Prints and Photographs Division Washington, D.C. https://www.loc.gov/item/2017668847/

 

Right: Medical Department - Nurses - In Theater of Operations - Japanese Red Cross nurse on porch of Japanese Red Cross hospital. 1914-1918. 165-WW-257C-13. RG165, Records of the War Department General and Special Staffs 1860-1952, Series American Unofficial Collection on WWI Photographs, American Red Cross-Refugees. NAID: 20804804. National Archives in College Park, MD.  https://catalog.archives.gov/id/45496590

 

左上の写真は、1912年に建設された東京の港区の日本赤十字社の本部の建物です。明治期の著名な建築家の一人である、妻木 頼黄(つまき よりなか)は、日本赤十字社本部をはじめ、横浜正金銀行本店(現、神奈川県立歴史博物館)や横浜新港埠頭倉庫(現、横浜赤レンガ倉庫)などいろいろな建物をつくったことで知られています。この日本赤十字社の本部の建物は、老朽化のため、取り壊され、1977年に黒川紀章氏によって新しいビルが建設され現在に至っています。右上の写真は、当時の日本赤十字病院内の様子です。看護婦たちは、靴ではなく、足袋に草履をはいていたというところも大変興味深いです。

 


Left: American Red Cross - Refugees - Temporary Red Cross Hospital for Relief of the Flood Victims. Happened in October 1916, Japan. 165-WW-48A-40. RG165, Records of the War Department General and Special Staffs 1860-1952, Series American Unofficial Collection on WWI Photographs, American Red Cross-Refugees. NAID: 20804804. National Archives in College Park, MD. https://catalog.archives.gov/id/20804804

 

Right: American Red Cross - Refugees - Relief work for victims of the flood in October 1917, at Minami, Japan. 165-WW-48A-37. RG165, Records of the War Department General and Special Staffs 1860-1952, Series American Unofficial Collection on WWI Photographs, American Red Cross-Refugees. NAID: 20804798. National Archives in College Park, MD. https://catalog.archives.gov/id/20804798

 

上の2枚の写真は、キャプションによれば日本赤十字社が、1916年10月に起こった洪水被害にあった人々の救護にあたっている様子です。建物の前には、「赤十字社大阪支部第三班救護所」と書かれた旗のようなものが見えます。「第三班」ということは、この地域にはいくつかの救護所が設営されて被害者の方々の救護に当たっていたかと思います。右上の写真のキャプションには、1917年10月の洪水とあり、1年の違いがありますが、おそらくい同時期のものではなかったかと思います。

 


Left: American Red Cross - Switzerland, & Misc. - Japanese Red Cross Unit dispatched to Paris, France, to work at making bandages. 1919. 165-WW-44D-1. Record Group 165, Records of the War Department General and Special Staffs 1860-1952, Series: American Unofficial Collection of World War I Photographs 1917 – 1918, American Red Cross - Switzerland, & Misc. NAID: 20804010. National Archives in College Park, MD. https://catalog.archives.gov/id/20804010

 

Right: American Red Cross - Miscellaneous - American Red Cross, Russian Island Hospital. American Russian Island Hospital Vladivostok and shows American and Japanese attendants unloading patients from an ambulance in center wearing U.S. Army Campaign hat is Dr. O.T. Logan, Bethany, Ill., Captain American Red Cross Commission to Siberia and Surgeon in Charge. At left is Dr. Hakamuru, House Surgeon and Japanese nurses of St. Luke's Hospital Unit of Tokyo. 3/8/1919. 165-WW-52A-53. Record Group 165, Records of the War Department General and Special Staffs 1860-1952, Series: American Unofficial Collection of World War I Photographs 1917 – 1918, American Red Cross – Miscellaneous. NAID: 20805570. National Archives in College Park, MD. https://catalog.archives.gov/id/20805570

 

右上の写真は、第1次世界大戦後のフランスで包帯を作っている日本赤十字社看護婦たちの様子です。戦後まもなくでしたので、ヨーロッパではいろいろな活動が必要であったと思います。また、左上の写真は、ロシア最大の港と言われるウラジオストクの病院の前の米軍、米国の赤十字社関係者とともに、日本の聖路加病院の医者と看護婦達(写真左側)も見えます。これはシベリア出兵(第1次世界大戦の連合国であったイギリス、フランス、アメリカ、カナダ、イタリア、日本、中華民国などによるロシア革命への干渉戦争)の中での赤十字社の活動であったと思います。

 

Emblems of liberty and humanity The Red Cross, mother of all nations. Poster showing two Red Cross nurses, one cradling in her arms a child on a litter, between the flags of Japan and the United States. [between 1914 and 1918]

Control No. 00651701. . Library of Congress, Prints and Photographs Division Washington, D.C. https://www.loc.gov/item/00651701/

 

最後の資料は、第1次世界大戦中の赤十字社のポスターの1枚です。日米友好のもと、「赤十字、万国民の母」 と「自由と人道の表象」といった日本語文字も書かれています。当時は、米国と日本の赤十字社はいろいろなところで協力をし合っていたことがわかります。

 

実は、この米国議会図書館のサイトの情報を見る前に、米国国立公文書館にもこのポスターを含め米国赤十字社から寄付されたポスターの整理とデジタル化を進めているということで、何枚かの資料を職員に見せてもらったことがありました。がその時には、このポスターがいつ製作されたのかという情報が何もないということであったので、少なくとも米国旗の星の数は、48個であったことから、アリゾナ州とニューメキシコ州が加わって48個になった、1912年以降で、また、1959年にアラスカ州が加わって49個の星になったので、それ以前の時代のものであること、また、第2次世界大戦前後でもないと思われたので、おそらく、1920年代前後のものなのではないかと私は考えていました。が、議会図書館のサイトからこのポスター情報を見つけて、納得しました。

 

第2次世界大戦中の赤十字社関係の写真は、こちらでは、米国赤十字社関係に限られると思いますが、戦後においては、日本の赤十字社関係もいくつかあるかと思いますので、また別の機会に資料をご紹介できればと思います。

 

160年以上の歴史をもつ国際赤十字員会は、国際赤十字・赤新月社連盟、そして各国赤十字社、赤新月社ともに、戦争で苦しむ人々の人道的援助、災害救助活動、また保健、福祉活動など積極的に幅広く活動しています。こうした活動や歴史を学び続けるとともに、自分たちができることもしていかなければと思っています。(YNM)