昭和レトロなカラー写真

2023年の1月を迎えたと思ったら、もう4月の半ばに入ってしまいました。時の流れの速さは益々早くなっているような気がします。

 

2018年の4月のブログ記事の「戦後の日本の風景―米軍のカラー写真から」で、戦後まもなくの日本の写真を何枚か紹介したことがありました。最近の日本では昭和や平成のレトロブームがまださかんであることも聞いていましたし、また、戦後まもなくの写真は、私が生まれ育った時代よりももっと前の時代ではあるものの、自分の中の懐かしい記憶と重なるところがありましたので、今回は、そうした昭和の匂いがするような写真をさらにご紹介したいと思います。

 

One of the most attractive events in Kyoto, Japan, is the Gion Festival, dedicated to the Yasaka-Jinjya Shrine. During the festival days, the entire city of Kyoto is richly decorated with colorful flags and lanterns for the cerebration. 7/16/1948. Photo No. C-5663. RG111SC CPF (Records of Signal Corps WWII and After Photograph, CPF-Color Photo Far East Command), Box 11. National Archives in College Park, MD. 

 

上の写真は、京都の祇園祭の時の商店街の様子で、アイスクリーム屋や雑貨屋などの各店も提灯を掲げている風景を映したものです。京都ならではの雰囲気もあるかと思いますが、私には、当時のこうした商店街の雰囲気は、私が生まれ育った昔の東京の町のイメージ(八百屋、肉屋、豆腐屋、米屋、パン屋、雑貨屋、文房具屋、本屋などいろいろな店が個別に存在していた)と重なります。

 

右下の写真は、東京の皇居前広場で行われた米陸軍の日のパレードを見るために集まった子ども達や人々であり、左下の写真は、沖縄の郷土料理の1つである干したウミヘビの一本を手にしている子どもの様子です。戦後まもなくの時代から徐々に復興しつつあった時代でしたが、食料を含めて日常品や衣料品他はまだまだたくさんあったわけではありませんでした。それでもこうした子ども達の笑顔を見るととても微笑ましくこちらも元気をもらったような気になってきます。

 


Left: Japanese families turn out to see troops of Headquarters and Service Group march before them, during an Army Day parade at the Emperor’s Palace Plaza, Tokyo, Japan. 4/6/1948. Photo No. C-4905. 

 

Right. A little Okinawan boy holds one of the dried snakes, a popular food for people on Okinawa which is sold together with vegetables. Okinawa island. 11/7/1950. Photo. No. C-6319. 

Both from RG111SC CPF (Records of Signal Corps WWII and After Photograph, CPF-Color Photo Far East Command), Box 11. National Archives in College Park, MD. 

 

下の写真は、大磯の海岸で魚釣りボートで釣った魚はどんな種類のものなのかと占領軍兵士が、訪ねています。当時は海水着といっても、現代のようなものではなく、男性や男の子たちは ふんどしもまだあたりまえであったようです。女性の場合は、アワビや真珠を取る仕事をする海女の人々は、白い木綿の磯着といったものを着ていたかと思いますが、レジャー用の海水着を身に着けて、海で泳ぐといったことは現代ほど一般化してはいなかったと思われます。

 

さらに下の写真は、横浜近くの海岸で、海藻や貝類を採集している女の子達、そして横浜の砂浜で、釣りに出掛けた父親と兄の帰りを待つ兄弟の様子です。海の様子や子ども達の様子が、生き生きしており、かつその一枚一枚から情緒が感じられる写真になっています。

 

Pfc. Bruce Crane of Denver, Colorado (left0 and Pfc. John Krause of Brookfield, Ill., inquire about the type of fish caught by Japanese fisherman at Oiso Beach, Oiso, Japan. 8/10/1947. Photo No. C-4684. RG111SC CPF (Records of Signal Corps WWII and After Photograph, CPF-Color Photo Far East Command), Box 28. National Archives in College Park, MD. 

 



Left: Japanese girls at work:  Japanese girls work, gathering seaweed and shellfish along a rippled seashore near Yokohama, Japan. Despite the chilling winds and icy waters, the girls seem to enjoy their work. 2/22/1948. Photo No. C-4825. 

 

Right: Two Japanese youngsters anxiously await the return of their father and older brother from their daily fishing trip, on the sandy beach at Yokohama, Japan. 2/22/1948. Photo No. C-4760. 

Both from RG111SC CPF (Records of Signal Corps WWII and After Photograph, CPF-Color Photo Far East Command), Box 11. National Archives in College Park, MD

 

昔は、どこの家庭でも子どもが何人かいるのが当たり前で、例えば私の父は、5人兄弟でしたし、母は、3人兄弟でした。なので、親が商売をしていたり、または農業や漁業などに従事していれば、下記の写真のように、少し大きくなった子ども達が、年下の弟や妹の子守りをしたり面倒を見たりすることもよくありました。

 


Left: A Japanese child carries her baby sister on her back as she stands in front of the family dwelling, a typical Japanese hut. Younger children are usually carried on the backs of their parents or older brothers and sisters. Japan, 10/26/1947. Photo No. C-4763. RG111SC CPF (Records of Signal Corps WWII and After Photograph, CPF-Color Photo Far East Command), Box 11. National Archives in College Park, MD. 

 

Right: An old Japanese fisherman drying his saba fish or mackerel, shows some of his catch to a little girl and her baby brother at Misaki, a very famous fishing resort, located at the southern trip of the Miura Peninsula, 35 miles southwest of Tokyo, in Kanagawa Prefecture, Japan. 3/28/1947. Photo No. C-4871. RG111SC CPF (Records of Signal Corps WWII and After Photograph, CPF-Color Photo Far East Command), Box 23. National Archives in College Park, MD.

 

左下の写真は、夏の鎌倉の鶴岡八幡宮のものです。女の子の顔は、「なんでここで写真を撮られなければならないの?」といった不安げでちょっと泣きそうな顔をしていますが、彼女は浴衣にぽっくりを履いて頭には赤いリボン、手には赤い手提げをもって、さらに蛇の目の日傘をさしています。腕にはプレスレットをしていて、なんともおしゃれな感じです。右下の写真は、静岡県の下田で行われた黒船祭りの初日に行われた墓前祭(ペリー艦隊乗組員5名の墓へのお参り)の様子です。いろとりどりの着物をきた子ども達がたくさん集まって、下田における日米交流の歴史をあらためて感じさせられます。現在の黒船祭りは毎年5月に行われてますが、戦後まもなくは3月に行われていたようです。(2021年12月13日付のブログ記事は、「ペリー来航と下田の黒船祭」ですので、ご覧いただけたらと思います。https://www.nichimyus.jp/2021/12/14/%E3%83%9A%E3%83%AA%E3%83%BC%E6%9D%A5%E8%88%AA%E3%81%A8%E4%B8%8B%E7%94%B0%E3%81%AE%E9%BB%92%E8%88%B9%E7%A5%AD/


Left: Summer-styled kimono and wooden shoes, pauses with her parasol, and cloth bag in front of the Kamakura Hachimangu  Shrine, in Kamakura, Japan. 8/3/1947. Photo No. C-4766.

 

Right: An old Japanese fisherman drying his saba fish or mackerel, shows some of his catch to a little girl and her baby brother at Misaki, a very famous fishing resort, located at the southern trip of the Miura Peninsula, 35 miles southwest of Tokyo, in Kanagawa Prefecture, Japan. 3/28/1947. Photo No. 5961.

Both from RG111SC CPF (Records of Signal Corps WWII and After Photograph, CPF-Color Photo Far East Command), Box 11. National Archives in College Park, MD. 

 

最後は、横浜での米軍による独立記念日のパレードの写真です。いかにもアメリカらしい雰囲気が出ており、たくさんの子ども達がそのパレードに見入っているのがわかります。東京の日比谷の第1生命ビルには連合軍総司令部がおかれ、その指令のもとに横浜には、日本の各地の占領政策の促進させる役割を持つ第8軍がおかれました。その第8軍の功績をたたえるためのパレードでもありました。

 

July 4th Celebration, Yokohama, Japan. A decorated car telling the history of the Eighth Army won much applause from American, Allied and Japanese people witnessing the huge Independence Day parade in Yokohama, Japan. 7/4/1948. Photo No. 4987. RG111SC CPF (Records of Signal Corps WWII and After Photograph, CPF-Color Photo Far East Command), Box 24. National Archives in College Park, MD. 

 

戦後の日本をこうしたカラー写真で見ることができるのはとても興味深いです。あの戦争を生き延びた人々の生活は大変なものであったと思いますが、そんな中でも子ども達は未来に向かって一生懸命生きていたと思います。

 

これらの写真はすべて、米陸軍のボリア(Boria)というカメラマンによって撮影されていました。日本を占領した連合国軍最高司令官であったダグラス・マッカーサーの記念館である、マッカーサー・メモリアル(MacArthur Memorial)が、ヴァージニア州のノーフォーク市(Norfolk)に あります。そのサイトの中には、ジョージス・デイミトリア・ボリア(Georges Dimitria Boria)についての情報が記載されています。(参照:http://www.macarthurmemorial.org/166/Georges-Dimitria-Boria ) 

彼は、米陸軍通信部に雇われ、日本占領期の中の1947年から1952年まで極東軍のカラー写真室の監督者であったことがわかります。1990年の時点で、彼は3万枚もの写真を、このマッカーサーの記念館の資料室に寄付しました。

 

ジョージス・デイミトリア・ボリアという人物についてもっと情報を知りたいのですが、現時点ではまだよくわかりません。検索している間に、見つけた、「少年の衣服の歴史」(Historical Boy’s Clothing)といサイトの中に、彼に関する情報が少しありました。(参照:https://histclo.com/photo/photo/photog/ind/b/bo/pho-boria.html

 

彼は、おそらくアメリカにやってきた移民の両親のもとにフィラデルフィアで1920年に生まれたであろうこと、第2次世界大戦中のイタリアに関する写真と戦後日本の写真をたくさん撮っていたとありました。また、彼は、1943年に設立された、枢軸国による侵略を受けた諸国への救済援助を目的とした連合国救済復興機関(United Nations Relief and Rehabilitation Administration:UNRRA)のための写真も撮っていました。彼の写真には、被写体への温かいまなざしが感じられ、かつ情緒的な雰囲気を醸し出し、なんとも魅力的です。どこか絵画的なところもあるので、彼は小さいときには絵を描くことが得意であったのではないかとも思います。いずれ彼について、もっと情報を収集できればよいなと思っています。(YNM)