「阿片」(あへん/アヘン)という言葉を聞くと、まず頭に浮かぶのは、1840年のイギリスと中国との戦争であったアヘン戦争です。阿片は、芥子(けし)という植物の実からである乳液を加熱乾燥したもので、英語では、オピウム(opium)と呼ばれます。古代から、強い鎮痛剤、鎮静剤として使われてきた歴史がありますが、一方では、常習性や依存性が高いために、使い方によっては、麻薬として健康を害することになるものです。
1804年に、ドイツの薬剤師によって、この阿片の有効成分を抽出され、それはモルヒネ(Morphine)と呼ばれました。モルヒネは、現在の医療現場でも、がんによる痛みなどに有効に使える薬剤や緩和剤として知られています。また、そのモルヒネの化学構造を変化させたものがヘロインで、1898年にドイツで開発されましたが、強い依存性がありその乱用は、心身をむしばむことになり、1913年には製造が中止されたと言われています。
日本関係の写真を追っていたときに、戦後まもなくの日本には、こうした阿片、モルヒネ、ヘロインなどがたくさんあったことを知りました。今回は、こうした写真資料を紹介したいと思います。
以下の写真は、当時の主要な製薬会社の1つであった、大日本製薬株式会社(1897年にできた大阪製薬株式会社が、1898年に、東京の大日本製薬会社を吸収して、大日本製薬株式会社となった。)に保管されていた、阿片の写真です。最初の写真には、当時の「内国産阿片」とあり、日本国内はもちろん、当時の満州で生産されたものが木箱に詰められて積まれているものです。その次の写真には、「蒙古産阿片」と張り紙がされています。
Left: Photo of stock of Dai Nippon Drug Co., Narcotics consisting of 1,234kg of Opium, 1560 kg of Manchurian Opium, 20kg of Codeine Phosphate, 123pkg of 450gr. Morphine Hydrochloride, 690pkg of 5gr Morphine hydrochloride. 11/9/1945. Photo No. 225773. RG111SC (RG111SC (Records of Signal Corps WWII and After photographs, Box 341. National Archives in College Park, MD.
Right: Photo of stock of Dai Nippon Drug Co., Narcotics consisting of 1234kg of Opium, 1560 kg of Manchurian Opium, 20kg of Codeine Phosphate, 123pkg of 450gr. Morphine Hydrochloride, 690pkg of 5gr Morphine hydrochloride. 11/9/1945. RG111SC (RG111SC (Records of Signal Corps WWII and After photographs), Box 341 Photo No. 225875. National Archives in College Park, MD.
以下の写真は、当時の東京衛生試験場にあったものです。ここでもモンゴルからの阿片、満州からのモルヒネ、そしてヘロインなどがありました。中国の北京や天津にいた日本軍司令部が隠し持っていたものも含まれていました。この東京衛生試験場は、もともと東京司薬場と呼ばれ、近代化の中で、大量に入ってきた薬品を取り締まる機関として1874年(明治7年)に設立されました。その後、さらに業務を拡大し、製薬学校を作ったり、公衆衛生全般を担ったりするようになり、1887年(明治20年)には、東京衛生試験所となりました。その後、医薬品の製造方法の調査や試験を実施するようになり、戦時体制においては、薬品国産化を担うところまで行ったそうです。1945年3月の東京大空襲でほとんどが焼けてしまいましたが、、戦後には再生し、1949年には国立衛生試験所(現、国立医薬品食品衛生研究所)になりました。
In a room at the Tokyo Hygiene Laboratory are stored, 792 kg of crude opium from Mongolia in can in center foreground, 500 kg of crude morphine cans in left hand side from Manchuria, an undetermined amount of heroin, smoking opium, and adulterated narcotics in boxes on background. The latter narcotics were confiscated by Japan Commers in Peking and Tientsin. Tokyo, Japan. 11/6/1945. Photo No. 224545. RG111SC (RG111SC (Records of Signal Corps WWII and After photographs), Box 336. National Archives in College Park, MD.
阿片やモルヒネ、そしてヘロインを製造していたのは、東京衛生試験所や、大日本製薬会社だけではなく、武田製薬、三共製薬、星製薬など当時の主要な製薬会社はすべて、こうしたもの製造に深く関わっていました。以下は、そうした施設の様子を示す写真です。
Left: Photo of Dai Nippon Drug Manufacturing Co., processing plant for heroin, morphine, and codeine at Osaka. 11/9/1945. Photo No. 225832. RG111SC (RG111SC (Records of Signal Corps WWII and After photographs), Box 341. National Archives in College Park, MD.
Right: Photo of section of Hoshi Drug Manufacturing Plant, Tokyo, showing employees processing opium. 11/6/1945. Photo No. 224485. RG111SC (Records of Signal Corps WWII and After photographs), Box 366. National Archives in College Park, MD.
阿片、モルヒネ、ヘロインなどだけでなく、コカの木の葉に含まれているコカインからも薬品を作っていました。以下の写真から、そうしたことがわかります。もともとは南アメリカのアンデス地域でかつて栄えたインカ帝国で、宗教的儀式に使われたと言われているコカの木は、当時から肉体的、精神的な疲れを癒すために必要なものであったと言われています。歴史的にはスペインを通じてヨーロッパにも伝わるようになり、嗜好品としても世界に広まったと言われています。依存性や常習性も高いために、現在では、麻薬取締の対象となっていますが、一方では薬用としての重要性もあるとされています。
Left: Photo of 1,580 coca leaves at Takeda Drug Manufacturing Plant Osaka, Japan. Largest plant in the Orient. 11/9/1945. Photo No. 225767. RG111SC (Records of Signal Corps WWII and After photographs), Box 341. National Archives in College Park, MD.
Right: Photo of demolished section of Sankyo Plant which formerly manufactured cocaine, heroin, and codeine. 11/6/1945. Photo No. 224423. RG111SC (Records of Signal Corps WWII and After photographs), Box 336. National Archives in College Park, MD.
Photo of section of Shiono plant formerly used to manufacture cocaine. This plant was bombed 6 Aug. 1945. It is in Yodogawa plant, Osaka, Japan. 11/6/1945. Photo No. 225880. Photo No. 224423. RG111SC (Records of Signal Corps WWII and After photographs), Box 341. National Archives in College Park, MD.
Left: Photo of wrapping and labelling 5gm.pkg. of Morphine hydrochloride in a open shed at Dai-Nippon Drug plant. This plant is located in Osaka, Japan. 11/9/1945. Photo No. 225878. RG111SC (Records of Signal Corps WWII and After photographs), Box 341. National Archives in College Park, MD.
Right: Osaka Hygienic Laboratory, Ministry of Welfare Osaka, Japan. All crude opium, in Japan, formerly was received at this plant. 11/9/1945. Photo No. 2
右上の写真は、大阪衛生試験所の建物であり、戦時中は厚生省の管轄下で、日本で生産された阿片はすべてここに集積されたとあります。この大阪衛生研究所も、東京の衛生研究所と同様に最初は大阪司薬場として設置させ、1887年(明治20年)に大阪衛生試験所となり、戦後の1949年には国立試験大阪支所となりました。
左上の写真は、大日本製薬会社の中で、生産されたモルヒネを包みラベルを張る作業に従事する人々の様子です。
これらの写真を通じて、戦争遂行を最優先とした戦時体制の中で、日本国内はもちろん当時の植民地や周辺地域を巻き込みながら、芥子(けし)やコカ木を生産し、それらから薬品を製造し、流通販売を促してきた、国の機関と民間企業の在り方、またそこには、中国に駐屯していた日本軍も関わっていたことも垣間見ることができました。
今回は、いくつかの写真を紹介するだけで精一杯となりましたが、テキスト資料の中にも、関連した資料がありますので、いずれ、このテーマについて、あらためて掘り下げていくようにしたいと思っています。(YNM)
参考文献
1. 医師が教える:アヘンとヘロインにまつわる怖い世界史:Diamond Online 4/29/22: https://diamond.jp/articles/-/302211
2.メモ:一からわかる麻薬の歴史:Asahi Shimbun Glove + 12/2/2018: https://globe.asahi.com/article/11978905
3. モルヒネを人類の宝として有効に使うために――がん疼痛緩和目的への応用: シノドス オピニオン 5/1/2015: https://synodos.jp/opinion/science/13936/
4.公益社団法人日本薬学会:
https://www.pharm.or.jp/herb/lfx-index-YM-200702.htm
5.国立衛生試験場の発祥の地:https://www.edo-chiyoda.jp/knainobunkazai/bunkazaisign_hyochu_setsumeiban/2/2/150.html