米国国立公文書館の日本関係の写真は、膨大にあります。たまたま横浜関係の写真を見ていたときに、戦後の蚕糸業(養蚕と製糸)に関する写真がまとまってあるのを見つけましたので今回はそれらの一部をご紹介したいと思います。
蚕(かいこ)という昆虫を飼って繭(まゆ)を収穫することを養蚕(ようさん)と言い、その繭から生糸を作ることを製糸と言います。この養蚕は、もともとは今から約5000年前に中国で始まり、日本には2000年くらい前に伝わったと言われています。18世紀以降、生糸の生産量が拡大していきました。1853年のペリー来航以後、日本は欧米諸国と本格的な貿易をするようになり、特に、1859年の横浜開港では、生糸が日本の主要な輸出品となり、日本の資本主義の発展において大きな役割を果たしました。明治に入って、1872年には官営工場として富岡製糸場が操業し、1909年には、日本は、生糸輸出量において、それまでの中国を抜いて世界第一となりました。しかしながら、1929年の世界大恐慌によって大きな打撃を受けることになり、また日中戦争後、そして、第2次世界大戦勃発後は、それまでのアメリカ市場を失ったっり、桑畑から食料生産畑への切り替えが必要になったりする中で、生産をさらに縮小していったと言われています。
しかしながら、戦後の連合軍により、1945年10月に、それまで減らされていた桑畑を回復させ、蚕糸の生産と向上などを含めた、製糸製造に関する指示が出されました。それをうけて翌年、政府は、蚕糸業復興緊急対策要綱を出して 当時の日本の食糧難に対応するための食料輸入の見返りとして生糸輸出を増大するために、養蚕設備の復興に力を注ぎました。以下の写真は、そうした背景の中で、撮影されたものであったと思います。
Left: Close up female silkworm moths laying eggs . Photo No. 307344. Right: Commercial silkworm eggs being placed on paper prior to their hatching. No. 307307. Those photos from ESS Textiles Division Project: Copy from series of Japanese pictures. 5/24/1948. RG111SC (Records of Signal Corps WWII and After photographs), Box 632, National Archives in College Park, MD.
上記の写真は、成長した蚕の蛾が 卵を産んでいるところであり、またそこで働く人々がそれらの卵を蚕卵紙につけているところです。通常、蚕の卵は10日から2週間で孵化して幼虫になります。この幼虫期は1カ月くらいであり、その時期に蚕は、たくさんの桑の葉を食べます。
下記の写真は、桑畑から桑の葉を取り、その桑の葉を餌として蚕にあげているところです。幼虫になりたての時には体長や約2ミリ程度ですが、桑をたくさん食べて最終的には約60ミリ(6センチ)前後にまでなり、体重も約15,000倍くらいの重さになると言われます。右下の蚕の写真は、十分大きくなり、これから糸を吐きながら繭を作り、その中で蛹(さなぎ)になっていく過程の直前のものです。
Upper left: Gathering spring crop of mulberry leaves. Photo No. 307305. Upper right: Feeding silkworms. Photo No. 307314. Bottom left: Silkworms feeding on chopped mulberry leaves during their fifth stage of growth. Photo No. 37313. Bottom right: Fully grown silkworm just prior to spinning its cocoon. Photo No. 307317. Those photos from ESS Textiles Division Project: Copy from series of Japanese pictures. 5/24/1948. RG111SC (Records of Signal Corps WWII and After photographs), Box 632, National Archives in College Park, MD.
成長した蚕の幼虫は、2日間ぐらいにわたって糸を吐き繭を作ります。その糸の長さは、蚕によっては、1500メートルくらいとも言われ、その労力は大変なものであるかと思います。下記の写真は、繭を作ることが可能になるまで成長した蚕の幼虫を、繭が作りやすい空間に移しているところ、またその幼虫が繭を作ったところ、そしてその繭を収穫しているところになります。
Upper left: Fully grown silkworms being replaced on a straw rack which serve a framework of cocoon. Photo No. 307318. Upper right: Silkworms spinning cocoons. Photo No. 307320. Bottom left: Cocoons being harvested by hand. Photo No. 307322. Bottom right: Freshly harvested cocoons. Photo No. 307323. Those photos from ESS Textiles Division Project: Copy from series of Japanese pictures.5/24/1948. RG111SC (Records of Signal Corps WWII and After photographs), Box 632, National Archives in College Park, MD.
蛹(さなぎ)になった蚕は、自分で作った繭の中で、約10日間から2週間過ごします。そのあと繭を破って蛾となり、蛾として生きる期間も10日間から2週間程度と言われています。
しかしながら、生糸を作るには、蚕が蛾になる前の繭が必要であるために、その繭は収穫されたあと、残念ながら 繭は蛹(さなぎ)が 入ったまま乾燥され、そのあと糸をほぐしていくために煮沸されます。下記の写真は、その過程になります。蚕の繭そのものが、生糸の原料なのですから致し方ないことですが、一生懸命糸を吐いて作った蚕の労力もすさまじいものであったと思うので、なんだかあらためて気の毒にも思ってしまいました。が、こうした養蚕の歴史は、非常に長いものであり、たくさんの人々のくらしと産業を支えてきたので、蚕の存在は本当にすごいものであると思います。
Upper left: Cocoons cut open showing chrysalis. Photo No. 307321. Upper right: Inspection of cocoons going into drying oven. Photo No. 307325. Bottom left: Bottom left: Cocoons ready for reeling coming out of boiling machine. Photo No. 307329. Bottom right: Multiple reeling basin. Photo No. 307331. Those photos from ESS Textiles Division Project: Copy from series of Japanese pictures. 5/24/1948. RG111SC (Records of Signal Corps WWII and After photographs), Box 632, National Archives in College Park, MD.
一つの繭からほぐした糸はとても細いので、それを何本かにまとめてより太い上部な糸にしていき、生糸にしていきます。それを 取り扱いに便利なように一定の単位である、綛(かせ)として、流通させていきます。下記の写真は、そうした過程の写真です。
Upper left: Rewinding from small reels to standard size reels. Photo No. 307334. Upper right: Making a skein. Photo No. 307335. Bottom left: Making skeins into books. Photo No. 307336. Bottom right: Raw silk packed in bales. Photo No. 307337. Those photos from ESS Textiles Division Project: Copy from series of Japanese pictures. 5/24/1948. RG111SC (Records of Signal Corps WWII and After photographs), Box 632, National Archives in College Park, MD.
下記は、横浜にあった生糸検査所の建物です。横浜は、江戸時代の開港時から、明治に入るまでは、日本で最大の貿易港でした。その後も生糸は、横浜港における輸出品の第1位であったと言われています。生糸の品質を正式に保証ための施設として、横浜に国立の生糸検査所が 1896年(明治29年)にできました。が、1923年の関東大震災のために被害をうけ、1926年(大正15年)に新たな生糸検査所の建物ができました。その建物は、戦後も残っていましたが、横浜第2合同庁舎の建設のために、その建物は、1990年(平成2年)に、解体されました。が、その新たな庁舎の部分に、以前の生糸検査所の外観を復元させて現在に至っています。
Left: Yokohama Silk Conditioning House. 5/24/1948. Photo No. 307338. Right: Raw silk being loaded on board ship. 5/24/1948. Photo No. 307339. Those photos from ESS Textiles Division Project: Copy from series of Japanese pictures. RG111SC (Records of Signal Corps WWII and After photographs), Box 632, National Archives in College Park, MD.
米国国立公文書館でたまたま見た蚕糸産業に関する写真をきっかけに、蚕に深い興味を持ちました。
最近では、自分で蚕を飼って、蛾になるまで育てる方々もいるようです。蚕が卵から、幼虫になり、蛹(さなぎ)になり、そして蛾になっていく成長過程は、約2カ月であり、無事に成長してもとても短い一生です。それもこの蚕が人間の生活にどれだけ大きな影響を与えてきたのかを考えるととても壮大です。
現在の日本の蚕糸業は、生糸や絹織物の自由化の中で益々競争が激しくきわめて厳しい状況にあると言われています。しかしながら、一方では、これまでの衣料品関係だけではなく、食品や化粧品、医療用ガーゼや人工血管、また電子素材としての利用など、いろいろな研究が進められており、その用途はいろいろな可能性を秘めているようです。
最後にそうした情報を提供しているサイトを二つほどご紹介しておきます。
カイコってすごい虫:国立研究開発法人 農業生物資源研究所:https://www.naro.affrc.go.jp/archive/nias/gmo/kaiko/kaikobio.pdf
みんな知ってる?未来にはばたくカイコ:NPO法人 くらしとバイオプラザ21:
https://www.life-bio.or.jp/school/kaiko/index.html
(YNM)