朝目覚めるころには、いつもいろいろな鳥の美しいさえずりが聞こえます。コロナ禍の前までは朝も非常に忙しかったのでそうしたさえずりを楽しむ余裕もありませんでしたが、現在はテレワークのために、そうしたものにも自ずと意識して耳を傾けるようになりました。そこから、ふと、レイチェル・カーソン(Rachel Carson)が書いた有名な『沈黙の春』(Silent Spring)を思い出しました。
アメリカ合衆国の海洋生物学者であったレイチェル・カーソンが1962年に出版した『沈黙の春』は、人間が化学物質を乱用し続けていくと生態系が破壊され、やがては春がきても鳥たちは鳴くことなくミツバチも飛ばないような沈黙した春を迎えるようになるかもしれないといった話から始まる、化学物質による環境汚染への警告を提示した本でした。
今回は、このレイチェル・カーソンに関する米国国立公文書館の資料や関連サイトなどをご紹介したいと思います。
Left: Rachel Carson, 1944 - Author, editor and aquatic biologist with the U.S. Fish and Wildlife Service. 022-DP-10780.jpg: Series: Photographs from the National Digital Library, ca. 1998 - 2011
Record Group 22: Records of the U.S. Fish and Wildlife Service, 1868 - 2008: National Archives, College Park, MD: https://catalog.archives.gov/id/166711290
Right: National wildlife artist Bob Hines (1912 - 1994) and agency writer and editor Rachel Carson (1907 -1964) spent many hours along the Atlantic coast visiting national wildlife refuges and gathering material for many of the agency's pamphlets and technical. 022-DP-03215.jpg : Series: Photographs from the National Digital Library, ca. 1998 - 2011 Record Group 22: Records of the U.S. Fish and Wildlife Service, 1868 - 2008:Record Group 22: Records of the U.S. Fish and Wildlife Service, 1868 - 2008: National Archives, College Park, MD: https://catalog.archives.gov/id/166696164
レイチェル・カーソンは、1907年5月27日にペンシルバニア州のスプリングデール(Springdale, PA)で生まれました。そこは、大きな森林や小川に恵まれ、野生生物がたくさん存在していたところで彼女はそうした環境に小さいころから慣れ親しんでいました。やがて、彼女は、ピッツバーグ市内のペンシルバニア女子大学(Pennsylvania College for Women: 現在のチャタム大学: Chatham University)に入学しました。もともと小さい頃から物語を書くのが得意で、大学では当初英文学が専攻でしたが、そのあと海洋生物学を専攻するようになりました。1932年にはジョンホプキンス大学(John Hopkins University)で動物学の修士課程を修了し、その後は、米国漁業局(United States Bureau of Fisheries: その後は米国魚類野生生物局、United States Fish and Wildlife Service となる。)に科学者かつ編集者として勤務するようになりました。(参照:Rachel Carson’s Biography: https://www.rachelcarson.org/Bio.aspx 及びRachel Carson’s Biography: https://www.fws.gov/refuge/Rachel_Carson/about/rachelcarson.html)
上記の写真は、そのころのもので、左は、1944年のレイチェル・カーソンの写真で広く知られているもので、右は、当時の同僚でもあり、かつ野生生物を描く画家でもあったロバート・ハインツ(Robert Hines)と一緒に海洋生物の研究のために収集活動をしていたときのものです。
レイチェル・カーソンは、米国魚類野生生物局(United States Fish and Wildlife Service)の出版物に関する編集長になり、個人としても、出版活動を始めていきました。 最初の本格的な出版は、海辺の魚類、鳥類、哺乳類の生態を描いた1941年の『潮風の下で』(Under the Sea-Wind)という本でした。1951年には、『われらをめぐる海』(The Sea Around Us)という本を出版し、ありとあらゆる生命体の母体である海の歴史について書かれたものでベストセラーになりました。その後、米国魚類野生生物局を退職して執筆活動に専念するようになりました。1956年の『海辺』(The Edge of the Sea)という本は、海辺に棲む様々な生き物の生態をとらえたもので、上記の写真にある、元同僚かつ画家であったロバート・ハインツが生物の絵を書きました。海を中心とした環境への関心は、環境保護学としての考察を深めることになりました。(参照:https://www.rachelcarson.org/Books.aspx 及び、https://www.fws.gov/refuge/Rachel_Carson/about/rachelcarson.html )
こうした実績をもとに、レイチェル・カーソンは、1962年、『沈黙の春』を出版しました。農薬をはじめとする化学物質が、いかに生態系に有害であり、地球環境への脅威をもたらすのかについて論じました。彼女は、米国魚類野生生物局に勤務していたときから、農薬や殺虫剤には興味を持っており、特にDDT(ディー・ディー・ティー: ジクロロジフェニルトリクロロエタ: dichlorodiphenyltrichloroethane)という有機塩素系物質の危険性を認識していました。
DTTといえば、例えば、太平洋戦争中に米軍が戦場でハエやマラリアからの伝染病を防ぐために、DDTを散布したり、戦後直後の日本で虱(しらみ)を通じての伝染病発生を防ぐために、人々に散布されたという写真資料が米国公文書館にもあり、1940年代半ば以降は主力な殺虫剤や農薬として使われていました。下記の写真はそうした状況を示すものです。
Left: DDT Spray---Insect Repellent and "DDT" are sprayed and dusted on dungarees which Marines will wear during the assault on Iwo Jima.2/16/1945: File Unit: U.S. Marine Corps Iwo Jima Operation, Volume 1, 1945 - 1945 Series: World War II Navy Command Files , 1942 - 1967
Record Group 38: Records of the Office of the Chief of Naval Operations, 1875 - 2006: National Archives, College Park, MD: https://catalog.archives.gov/id/32606999
Right: "View of thousands of ants (paratrechine longicornis) killed by D.D.T. (dichloro-diphenyo-trichloroethane) a most effective formula secured in Switzerland early in the present war. Capt. Phillip C. Stone, 0-509556, HRPE entomologist, is shown explaining the problem involved. Photograph taken in basement of Kecoughtan Station Hospital Mess Hall. Official photograph U.S. Army Signal Corps, Hampton Roads Port of Embarkation, Newport News, Virginia. 2/8/1944. 336-H-11-F6322: Series: Photographic Albums of Prints of Hampton Roads Port of Embarkation, 9/1942 - 12/1945 Record Group 336: Records of the Office of the Chief of Transportation, 1917 - 1966: National Archives, College Park, MD: https://catalog.archives.gov/id/138926244
Left: Sasebo Reception Center. Hario Barracks. DDT Dusting. 6/7/1946. Box 599 Photo No. 298335. Record Group 111: Records of the Office of the Chief Signal Officer Photographs: Signal Corps Photographs of American Activity, 1900-1981: National Archives, College Park, MD
Right: Hakata Reception Center, Fukuoka. DDT on baby. 6/10/1946. Box 599 Photo No. 298233. Record Group 111: Records of the Office of the Chief Signal Officer Photographs: Signal Corps Photographs of American Activity, 1900-1981: National Archives, College Park, MD
このように、戦争中や戦後もDDTは世界的に使われていたために、レイチェル・カーソンによる『沈黙の春』という本は、当時の社会にとっては、非常に衝撃的でありました。また1960年代はベトナム戦争が激化し、枯葉剤(defoliant/Agent Orange)が、米軍によってベトナムに大量に散布されつつありました。この本は、瞬く間にベストセラーになり、農薬や殺虫剤の環境へのインパクトがいかに大きなものであるかを世に知らしめることになりました。彼女は、この本を通じて、農薬の完全な禁止を訴えたのではなく、農薬を安全に使うことの必要性や、DDTなどの危険な化学物質の代用品が見つけるための調査も行うことの必要性を説いたにも関わらず、農薬業界側や保守派の政治家は、彼女への誹謗中傷を行う大きなキャンペーンを行いました。こうした動きに対して、この本を読んだ当時のジョン・F・ケネディ大統領(John Fitzgerald Kennedy)は、早速、大統領の科学諮問委員会(President’s Science Advisory Committee: PSAC)にこの本の内容を調査させ、翌年1963年5月に正式な報告書を出すことになり、レイチェル・カーソンの『沈黙の春』の内容には正当性があることを認め、そこで、レイチェル・カーソンに対する非難を抑えることになりました。
こうしたことをきかっけにして、米国では環境問題への関心が強まり1970年の4月22日は地球環境を考える日として最初のアースデー(Earth Day)のイベントが開かれるようになり、また同年には、ニクソン大統領(Richard Milhous Nixon)は環境保護庁(Environmental Protection Agency: EPA)を設立し、化学物質の残留物の許容範囲を設定する権限を与え、1972年にはその環境保護庁が農薬規制を担当することになり、DDTは使用禁止としました。また1976年に成立した有毒物質規制法(Toxic Substances Control Act of 1976)は、環境保護庁は健康または環境への害から国民を守るという役割を持ち、その権限のもとで、レイチェル・カーソンが『沈黙の春』で問題視されていた、6つの化合物(DDT、クロルデン、ヘプタクロル、ディルドリン、アルドリン、エンドリン)をすべて禁止または厳しく制限するよう行動し、新しい化学物質の試験に対する責任を負うことになりました。
(参照:The US Federal Government Responds: http://www.environmentandsociety.org/exhibitions/rachel-carsons-silent-spring/us-federal-government-responds from Stoll, Mark. “Rachel Carson’s Silent Spring, a Book That changed the World.” Environment & Society Portal, Virtual Exhibitions 2012, no. 1. [updated 6 February 2020]. Version 2.0. Rachel Carson Center for Environment and Society. http://www.environmentandsociety.org/exhibitions/rachel-carsons-silent-spring/introduction)
レイチェル・カーソンによる『沈黙の春』は、その後の環境問題を考えていく上でバイブル的なものになり、現在まで続く環境問題への取り組みの原点となったと思います。1966年には、メイン州に、渡り鳥にとって貴重な塩湿地や河口を保護する、レイチェル・カーソン国立野生保護区(Rachel Carson National Wildlife Refuge: NWR)が作られました。(Rachel Carson, about Refuge: https://www.fws.gov/refuge/rachel_carson/about.html )米国国立公文書館にはその保護区に関する写真も下記のようにあります。
Left: Rachel Carson NWR, Wells, Maine: Named for the renowned author of Silent Spring and The Sea Around Us, Rachel Carson Refuge consists of a series of estuarine habitats along the southeastern coast of Maine. Here one will find salt marshes surrounded by s. 022-DP-04005.jpg: Series: Photographs from the National Digital Library, ca. 1998 - 2011 Record Group 22: Records of the U.S. Fish and Wildlife Service, 1868 - 2008: National Archives, College Park, MD: https://catalog.archives.gov/id/166697744
Right: The Rachel Carson National Wildlife Refuge was established to preserve ten important estuaries that are key points along migration routes of waterfowl and other migratory birds. During harsh winters, the refuge's marshes provide vital food and cover for w.: 022-DP-03527.jpg: Series: Photographs from the National Digital Library, ca. 1998 - 2011 Record Group 22: Records of the U.S. Fish and Wildlife Service, 1868 - 2008: National Archives, College Park, MD: https://catalog.archives.gov/id/166696788
レイチェル・カーソンは、1956年にメリーランド州シルバースプリング(Silver Spring, MD)に引っ越しをして、1958年から『沈黙の春』の執筆活動に入りました。1962年にその本を出版したあと、それまで乳がんと長い間闘ってきた彼女は、5月の57歳の誕生日を迎える直前の1964年4月14日にこの家で亡くなりました。現在でも、彼女の家にはレイチェル・カーソンの遺産を保存するための非営利団体であるレイチェル・カーソン・ランドマーク・アライアンス(Rachel Carson Landmark Alliance: RCLA:http://rachelcarsonlandmarkalliance.org/)の本部と図書館があります。時々そこでイベントも開かれているようです。彼女の家(11701 Berwick Road, Silver Spring, MD 20904)は、私の自宅から車で10分くらいのところにあります。緑に囲まれた閑静な住宅街の中にあります。その近くには、レイチェル・カーソン・グリーンウェイ・トレイル(Rachel Carson Greenway Trail )という遊歩道があり、私の自宅近くにある遊歩道である、ノースウェスト・ブランチ・トレイル(the Northwest Branch Trail)とつながっています。
Left:レイチェル・カーソンが1956年から亡くなるまで住んでいた家。
Right: ノースウェスト・ブランチ・トレイルという遊歩道の入口。(5/7/2020撮影)
かなり以前のことですが、日本に住んでいたときに、レイチェル・カーソンの『沈黙の春』を日本語訳で読みました。今回、彼女に関する情報を調べてみると、彼女は、自然と野生生物への惜しみない深い愛情と、地球環境を守っていくのは人間の使命であることを自分の命を懸けて必死に訴えていたのだと実感しました。最近では、「サステナビリティ」(sustainability:持続可能力)を言う言葉をよく耳にしますが、それは、この地球が生み出している生態系と人間社会の共存とその持続を進めるという意味で使われていると思います。レイチェル・カーソンの原本をあらためて読んでいきたいと思います。(YN)