昨年からハリエット・タブマン(Harriet Tubman)という黒人女性の実話をもとにした映画「ハリエット(Harriet)」が上映されています。先月この映画を見に行ってきましたが、主人公ハリエットの強い意志と行動力に感銘を受け、彼女の軌跡をたどることのできるハリエット・タブマン地下鉄道ビジターセンターや博物館などを訪れてみました。
Great Lakes Seaway Trail - Harriet Tubman. 406-NSB-052-395px-Harriet_Tubman.jpg; Records of the Federal Highway Administration, 1956-2008, Record Group 406; National Archives at College Park [online version available through the National Archives Catalog (National Archives Catalog identifier 7718799) at www.archives.gov; Jan.3, 2020]
ハリエット・タブマン(写真上)は奴隷解放運動家で地下鉄道(Underground Railroad)でコンダクター(車掌)だったことで名を知られた人物です。地下鉄道とは奴隷の逃亡を手助けするネットワークや逃亡経路のことで、奴隷逃亡者のことをパッセンジャー(乗客)、奴隷の逃亡を誘導する人をコンダクター(車掌)、隠れ家のことをステーション(駅)などという鉄道の用語が使われました。
ハリエットは1822年に奴隷の子としてメリーランド州ドーチェスター郡で生まれました。当時は母親の身分が、子供の身分を決定づけ、たとえ父親が奴隷でなくとも、母親が奴隷であれば、子供は奴隷となりました。ちなみに、1840年、ドーチェスター郡にいた黒人の半分は奴隷であり、半分は自由人でした。ハリエットは自由人である黒人男性と結婚をしますが、奴隷の結婚は法律的に定められたものではなく、非公式なものでした。ハリエットを所有していた人が亡くなり、奴隷が売りに出されると聞き、ハリエットは1849年に夫を残して逃亡をしました。奴隷州であるメリーランド州に対して、隣接しているペンシルバニア州は奴隷制度を禁止していた自由州であり、様々な人の助けを借り、ペンシルバニア州のフィラデルフィアに行き、そこで仕事に就きました。そして、1850年の奴隷逃亡法により自身にも危険が及ぶ可能性があるにも関わらず、ハリエットは何度も南部に行き、家族や友人などを無事に逃亡させることに成功しました。彼女はモーゼともよばれ、彼女の捕獲には報酬金がかけられたといわれていますが、一度も捕まることはありませんでした。
1861年に南北戦争がはじまると、ハリエットは看護婦や病院の料理人、またスパイとして軍に参加しました。ここでもハリエットはコンダクターとして培われた能力を発揮したようです。
戦後、再婚し、のちに未亡人として恩給をもらいます。しかし、生活をするには十分ではなく、自分自身が陸軍で従軍した時の恩給がもらえるよういくつもの書類や手紙が議会に送られました。米国国立公文書館には、この恩給に関しての資料が残されています。
“Letter from Sereno E. Payne, Chairman of the Committee on Merchant Marine and Fisheries, to George Ray, Chairman of the Committee on Invalid Pensions, on Behalf of the Claim of Harriet Tubman that She was Employed as a Nurse, Cook, and a Spy, 2/5/1898” Record Group 233; National Archives at Washington, DC [online version available through the National Archives Catalog (National Archives Catalog identifier 306574) at www.archives.gov; Dec.30, 2019]
“H.R. 4982, A Bill Granting a Pension to Harriet Tubman Davis, Late a Nurse in the U.S. Army, 1/19/1899” Records of the U.S. House of Representatives, 1789 – 2015;Record Group 233; National Archives at Washington, DC [online version available through the National Archives Catalog (National Archives Catalog identifier 306578) at www.archives.gov; Dec.30, 2019]
上の画像は送られた手紙の一部とハリエット・タブマンに年金を付与する法案です。手紙には未亡人として恩給を8ドル支給されているが、戦争に彼女自身も従軍しているので恩給の増加を要求していること、南北戦争中に軍から受け取ったお金は全部で200ドルだけだったことなどが書かれてあります。最終的には彼女の主張が認められ、彼女自身の恩給を受け取ることができました。一番最初に恩給の申請をしてから30年以上がたっていたそうです。
彼女は女性の権利を求める集会などで講演をしました。また、ニューヨーク州に購入していた場所に、高齢の元奴隷たちを住まわせ、援助を続けました。1913年、肺炎でその生涯を終えましたが、彼女の活動は、その後の女性参政権など、女性の地位向上へとつながっていったのだと感じました。
下の写真はハリエット・タブマン地下鉄道ビジターセンターの写真です。ここは2017年にドーチェスター郡のチャーチクリークという町に作られました。ここでは16分ほどの映画が上映され、また展示物からハリエットの人生を学ぶことができます。
メリーランド州にはこのハリエット・タブマンや地下鉄道に関する場所がたくさんあります。Maryland’s Underground Railroad Network to Freedomという冊子(https://www.visitmaryland.org/sites/default/files/19-OTD-NTF-Guide_Final.pdf)によるとメリーランド州には49ものサイトやツアー、プログラムがあります。当時の様子や逃亡経路などを垣間見れ、興味深そうなので、これらの場所を順番に回って見れたらなあと思っています。(NM)
引用・参考サイト
Harriet Tubman Historical Society: http://www.harriet-tubman.org/