U-234とは第二次世界大戦時のドイツ海軍の潜水艦です。そのU-234に日本海軍の2人が乗っていたのはご存知でしょうか。
この日本海軍の2人のうち1人は当時の日本の潜水艦技術の専門家であり、ドイツに赴任して日本の潜水艦技術をドイツに伝えるとともに、ドイツの潜水艦技術も学んでいた、友永英夫技術中佐で、もう1人は、日本にジェットエンジンやロケットエンジンを導入するためにイタリアや、ドイツでその技術を学んでいた庄司元三技術中佐です。この2人は日本海軍からの特命により帰国を命じられ帰国の手段としてこのU-234に便乗したほかに、ドイツから日本にウランを持ち運ぶという役割もありました。
U-234は1945年3月24日にドイツのキール軍港を出て日本へ向けて出航しました。途中、ノルウェー沿岸を北上中に接触事故を起こし修理のためノルウェーに停泊し、4月16日にノルウェーを再出発しました。大西洋上を浮上して航海していた5月1日に、艦長のヨハン・ハインリヒ・フェーラー(Johann-Heinrich Fehler )海軍大尉はヒットラー総統がすでに死去という無線を受信しました。5月7日には、ドイツ国防軍が連合国側に無条件降伏しましたが艦内の混乱を避けるため、この降服については艦長と一部の士官にしか伝えてなかったようです。翌5月8日、デーニッツ海軍総司令官から「武装を解除し連合軍の指示に従うように」と艦内に正式な入電があり乗組員にも伝えられ艦内でも今後の進路について議論が交わされました。
友永と庄司はこのまま日本へ向かってほしいと請願し、一時は中立国であるアルゼンチンに友永と庄司を送り届けることも検討されましたが、最終的には命令通り連合国に降服することになりました。それを知った友永と庄司は携行していた機密書類や設計書などは破棄しましたが、ウランの処分は出来ずそのまま残し彼らは大量のルミナール(睡眠薬)を服用し自決しました。
米国国立公文書館にはこのドイツ海軍の潜水艦に関する資料がたくさんあります。今回は、それらの資料のほんの一部を紹介したいと思います。
資料の中には、両中佐が知人から託されたとみられる手紙があり、その中には写真と手紙2通が含まれていました。この時代背景として、第二次大戦直後は、シベリア鉄道による陸路での日独の人的・物的交流が可能でしたが、独ソ戦が開始されると陸路は使えなくなったこと、また、連合国側の海上封鎖によって通常の船舶が使用できなくなったことにより、日本とドイツ双方の輸送手段として戦艦が使用されるようになっていました。
日本在住のテオドール・エッケル牧師へ宛てた家族からの手紙(1994年12月)
Letter JAPAN PASTOR THEODOR HAECKEL OSTASHEN MISSION
U 234 (JAPANESE) RG 38 Records of the Office of the Chief of Naval Operations Office of Naval Intelligence Foreign Intelligence Branch Technical Section (Op 23F2), 1945-6 Record Re U-234-Aircrraft Drawings to Drawing Lists Box 3 National Archives at College Park, MD
当時陸軍兵器行政本部ベルリンの陸軍武官室に勤務中していた人物から日本の岩手県に住んでいた夫人へ宛てた手紙
(1944年11月13日付)
左下の2名が写っている写真の1人はその手紙を書いた人物であり、その隣にいるのは、ベルリンの陸軍武官室の責任者であった責任者大谷修少将でした。
U 234 (JAPANESE) RG 38 Records of the Office of the Chief of Naval Operations Office of Naval Intelligence Foreign Intelligence Branch Technical Section (Op 23F2), 1945-6 Record Re U-234-Aircrraft Drawings to Drawing Lists Box 3 National Archives at College Park, MD
また、友永と庄司の連名のドイツ語で書かれた艦長宛ての遺書もありました。
庄司元三技術中佐と友永英夫技術中佐、両名の連名で書かれた艦長へ宛てた遺書の英訳文(原文はドイツ語)
艦長へ宛てた遺書には、「自分たちの遺体を水葬にしてほしい」「自分たちの私物を艦長を含む乗組員で分けてほしい」「出来るだけ速く日本に知らせてほしい」と綴られています。
OP-20-3-GI-A SECRET 234/12
LETTER FROM TWO JAPANESE AND COMPLATTED SUICIDE ABORAD. TRASLATED FROM GERMAN IN JUNE 1945
U 234 (JAPANESE) RG 38 Records of the Office of the Chief of Naval Operations Office of Naval Intelligence Foreign Intelligence Branch Technical Section (Op 23F2), 1945-6 Record Re U-234-Aircrraft Drawings to Drawing Lists Box 3 National Archives at College Park, MD
同年5月15日、米海軍の護衛駆逐艦「Sutton」に完全に拿捕され19日にU234はニューハンプシャー州ポーツマスの海軍基地に入港しました。
U234艦長のヨハン・ハインリヒ・フェーラー(Johann Heinrich Fehler)海軍大尉
戦艦が拿捕され、身柄を拘束された後に作成された個人情報の記録
記録には出生地や家族構成、職務に関する情報他、信仰する宗教、英語またフランス語を少し話せることなどが記されています。
BASIC PERSONAL RECORD (Alien Enemy or Prisoner of War)
U 234 RG 38 Records of the Office of the Chief of Naval Operations Office of Naval Intelligence Foreign Intelligence Branch Technical Section (Op 23F2), 1945-6 Record Re U-234-Aircrraft Drawings to Drawing Lists Box 13 National Archives at College Park, MD
米海軍は寄港時点で約560キログラムの「酸化ウラン」が発見されたと「積荷リスト」に記されています。
U234の積荷目録の原文
(ドイツ語)
積荷目録の黄色の枠内には、酸化ウラン560Kg、受領者が日本陸軍と記されています。
OP-20-3-GI-A MANIFIST OF CARGO FOR TOKYO ON BOAED U-234 TRANSLATED FROM GERMAN 23 MAY 1945
U 234 RG 38 Records of the Office of the Chief of Naval Operations Office of Naval Intelligence Foreign Intelligence Branch Technical Section (Op 23F2), 1945-6 Record Re U-234-Aircrraft Drawings to Drawing Lists Box 4 National Archives at College Park, MD
U-234は、積荷を回収され米海軍の潜水艦「Green fish」の魚雷テストの標的とされマサチューセッツ州ケープコッド沖にて雷撃により最期を遂げました。
U-234 DATE REL 28 NOV 47
SUBJUCT: Four Former German U-Boats, The U-234, U-289, U-530 and U-889, were sunk by torpedoes fired From Atlantic Fleet Submarines 40 miles Northeast of Cape Cod, Massachusetts. 704650-704699 RG 80-G GENERAL RECORDS OF THE DEPARTMENT OF THE NAVY General Photographs 1918-1945(Prints) 704600-704818 WITH GAPS National Archives at College Park, MD
今後も機会があればこのドイツの潜水艦に関する資料を追ってみたいと思います。
(LH, TE, and TM)