2008年のジョージア州アトランタで行われたアジア学会から、ニチマイ米国事務所として参加を開始し、今年で参加11年目を迎えました。参加開始当時から数年間はニチマイ米国事務所としてブースを出していましたが、その後は、私達米国スタッフが、アジア学会の研究動向を私達の日々の仕事により役立てていくためにセッションに参加することになっていきました。私達は、いわゆるアカデミック分野の立場ではなく、あくまで歴史資料の資料調査や収集を扱う民間会社の立場ですが、毎日、メリーランド州の米国国立資料館(National Archives Records and Administration: NARA) で原資料を見ておりますので、そうした歴史資料がどのようなテーマで使われているのか、分析されているのかといった動向をきちんと把握することは非常に重要なことであると思っています。
アジア学会会議のサイトはこちらになります。https://www.eventscribe.com/2019/AAS/ そのサイトからどのようなセッションや個別発表が行われたかの情報を見ることができます。歴史学、政治学、文学、国際関係学、語学、文化比較学他いろいろな分野の研究者や専門家または活動家によるセッションは数にして約400あり、地域別でみるなら、中国及びアジア内部、日本、韓国、南アジア、東南アジアの括りがあり、多彩な各セッションの概要がわかるようになっています。私は、日本の政治や国際関係、北海道の歴史、戦前の日露関係、戦中の子どもたちなどをテーマにしたセッションに出てみましたが非常に興味深い内容でとても勉強になりました。ご参考までに昨年2018年までの会議内容はこちらのサイトをご参考ください。http://www.asian-studies.org/Conferences/AAS-Annual-Conference/Conference-Menu/-Home/Past-Conferences
上記の写真はアジア研究における各出版社によるブース会場であり、また会場となったデンバーのダウンタウンのシェラトンホテルです。
今回は、あくまでアジア学会のセッションに参加して、最新のアジア研究の動向をできるだけ吸収することが目的でしたので、デンバー市内をゆっくり見学できるような時間はほとんどありませんでしたが、それでも早朝や夕方を使って、多少なりとも市内の様子を見てきました。
上の写真はデンバー空港から約40分ほど電車に乗って到着したユニオンステーションという駅です。デンバー市内のダウンタウンの入り口に位置します。ここから私が宿泊したホテルまでは歩いて20-25分くらいでしたが、この駅周辺から繁華街までは下の写真にある、無料のシャトルが出ており、交差点毎に停止するので、こうしたシャトルを利用するのもよいと思いました。帰りのときは会議の会場ホテル前からユニオンステーション駅まで乗りました。
左下の写真は、私が宿泊したホテルの近くにあったコンベンションセンターの入り口で、そこには大きな青い熊がセンター内を除いているような像がありました。デンバー市内のトレードマークのようなものになっているそうです。また、右下の写真は対テロリズム教育ラボ(CounterTerrorism Education Learning Lab、CELL)という、テロリズムを防ぐにはどうするべきかについて体験的に学ぶことができるような博物館です。ワシントンDCにおいても、テロリズムに関する展示は、新聞博物館(Newsium)やスパイ博物館の中にも一部あったと思いますが、このデンバーの博物館は、テロリズムとは何か、テロリズムを防ぐには何が必要なのかを考える教育的なプログラムを提示しているので非常に興味深いと思いました。サイト情報はこちらです。https://www.thecell.org/exhibit/
デンバー市内にはたくさんの美術館や博物館がありますが、中でもデンバー美術館は先住民族の芸術品は世界でも最大級レベルと言われているようです。が、現在は旧館は改装中のため閉鎖されており、新館では、近現代の様々な展示が行われています。デンバー生まれで現在はニューヨークのハーレムで活躍しているジョーダン カステール(JORDAN CASTEEL)の展示はとても印象的でした。https://denverartmuseum.org/exhibitions 下記の写真はその美術館とカステールの展示の1枚です。
下の写真は、左がコロラド州の議事堂であり、右がデンバー市の市庁舎で大通りを挟んで向かい合っている形になっています。
州の議事堂の近くにはデンバー大聖堂 と呼ばれる教会(Cathedral Basilica of the Immaculate Conception)がありました。19世紀末から20世紀にかけて建てられたもので内部のステンドグラスはとてもきれいなものでしした。
州の議事堂の近くには、コロラド州の資料館があります。下記の写真はその資料館の建物なのですが、資料館という名前が掲げられていません。しかしながら、この建物には州レベルの様々な歴史資料があり、戦時中の日系人収容所関係の資料もあります。Colorado State Archivesのサイト(https://www.colorado.gov/archives/)で検索できます。
上記のコロラド州の資料館の近くには、コロラド歴史博物館(History Colorado Center)があります。https://www.historycolorado.org/history-colorado-center
コロラド州の歴史がどのようなものであったのかを知るには非常によいところであると思いました。昔のスキーの様子や車の展示もあったりして楽しい部分もありますが、一方でいろいろぞれそれの時代の人々の苦難の歴史もわかりすく、展示されていました。先住民族の人々の歴史がまずあり、17世紀以降の白人開拓者の人々による歴史があり、それに続くコロラド戦争と呼ばれる、アメリカ合衆国と先住民族の戦争や先住民族の虐殺の歴史もありました。また、鉱山開発やそこで働いていた炭鉱労働者の人々の苦闘や1920年代の白人至上主義運動とアフリカンアメリカンの抵抗運動、1930年代のダストボール(Dust Bowl)と呼ばれる砂嵐による大被害(コロラド州だけでなくカンサス、ネブラスカ、ニューメキシコ、テキサス、オクラホマの各州にまたがった)により、当時の農家は当時の世界恐慌のあおりも受けて、崩壊し農家の人々は離農を余儀なくされた歴史もありました。太平洋戦争中には、コロラド州にはグラナダ収容所(Granada War Relocation Center)、通称アマチ収容所(Camp Amache)と呼ばれた日系収容所が存在し、7000名以上の日本人が収容されていました。
このコロラド歴史博物館(History Colorado Center)の2階には、ハートリサーチ図書館(Hart Research Library)があります。https://www.historycolorado.org/visit-library
今回はそこで資料調査をする時間はまったくありませんでしたが、例えば日系収容所関係資料も興味深い資料があるようです。州の資料館が公的資料を収集しており、この図書館にあるものは個人の寄贈や民間レベルの資料が中心となるようです。この図書館の資料は、カタログ検索で検索できるようになっています。https://c70003.eos-intl.net/C70003/OPAC/Index.aspx
あらためて資料調査のために再びデンバーに来ることができたらよいなと思っています。(YN)