川島芳子-生存していたのか?

先月に川島芳子について書きましたが、米国国立公文書館には川島芳子についての調書の書類が個人にしてはかなりあるのに驚きました。

 

 

 

Inclosure IV; XA510659 Yoshiko Kawashima Vol II of II (Folder 1 of 2); Intelligence And Investigative Dossiers—Personal Name File 1939-1976 Box 389; Records of the Investigative Records Repository Entry # A1 134-B; Office of the Assistant Chief of Stuff for Intelligence, G-2  RG319; National Archives at College Park, MD

その調査目的が記された書類がありました。 川島芳子は数奇な人生を送りましたが、戦後間もなくの1945年の10月に北平(北京)で逮捕され1947年10月に国賊として死刑宣告を受け1948年3月25日に銃殺刑に処されています。

 

しかし処刑後から誰か他の人物が代わりに処刑されたとの噂が出回りました。古川大航という臨済宗の僧侶が芳子が処刑された頃にたまたま北平の日本臨済宗妙心寺にいて、芳子の遺体を荼毘に付すために遺体を引き取りに来ました。 古川大航は芳子とは面識がなく、後頭部から撃たれたため顔の認識が全くできませんでしたが、「家あれども帰り得ず、涙あれども語り得ず、法あれども正しきを得ず、冤(えん)あれども誰にか訴えん」と書いた紙を遺体から見つけ、髪の毛は長いようだがこれを書けるのは芳子以外の誰にもいないので、処刑されたのは芳子本人である、と言っていました。

 

GHQは身代わり処刑は当時の中国では珍しいことではないし、芳子の高貴な生まれと日中戦争でのスパイ活動で、もし処刑されていなくて生きているとすると極東でやっかいなことが起こる可能性が多い、として芳子と接触があった人たちから色々話を聞いたようです。

 


G2, GHQ Inter-Office Memorandum, Subject: Kawashima Yoshiko, Date: 5 Jan 49; XA510659 Yoshiko Kawashima Vol II of II (Folder 1 of 2); Intelligence And Investigative Dossiers—Personal Name File 1939-1976 Box 389; Records of the Investigative Records Repository Entry # A1 134-B; Office of the Assistant Chief of Stuff for Intelligence, G-2  RG319; National Archives at College Park, MD

 

誰かが芳子の身代わりになって処刑された、というのはこういう話です。1948年7月15日に発行された「世界の動き」に掲載された「川島芳子はまだ生きている?」という文章です。LIU Huang-chenという女性が北平の監察院に1通の手紙を出したことから始まりました。川島芳子の身代わりになったのは、芳子とそっくりだった彼女の姉LIU Huang-lingだと言うのです。彼女の義理の兄、Liu Chung-chiが彼女のお母さんに金10本で芳子の代わりにHuang-lingが処刑されるのはどうか、とそそのかします。処刑前日の3月24日に彼女とお母さんがお姉さんを引き渡しに刑務所を訪れました。その時刑務所長のWuは金を4本しかくれず口論になりましたが、脅されて女性2人はとりあえずその場を立ち去ります。刑務所に務める義理の兄によるとお姉さんは芳子の代わりに処刑され、芳子はというと満州に逃亡したと言います。満州のCHOU Pao-chung将軍はそのために金100本を支払ったそうです。しかしながら彼女たちは金4本しかもらえず、後日残りを回収に行ったお母さんは戻ってきません、この件に関しての徹底的な調査をお願いします、というこの苦情の手紙から芳子は生きているのでないか、という噂が飛び交いました。

 

 

 

Name of Magazine: Movement of the World (Sekai no Ugoki); XA 510659 Yoshiko Kawashima Vol. I of II (Folder 2 of 2); Intelligence And Investigative Dossiers—Personal Name File 1939-1976 Box 389; Records of the Investigative Records Repository Entry # A1 134-B; Office of the Assistant Chief of Stuff for Intelligence, G-2  RG319; National Archives at College Park, MD

この噂を信じていた人は少なからずいたようで、芳子と過去に親密な関係にあった相場師の伊藤ハンニや笹川良一は芳子が処刑されたということに疑問を持っていたようでした。

 

 

 

伊藤ハンニの調書 

 

Agent Report, Kawashima Yoshiko, 23 March 1949; XA 510659 Yoshiko Kawashima Vol. I of II (Folder 2 of 2); Intelligence And Investigative Dossiers—Personal Name File 1939-1976 Box 389; Records of the Investigative Records Repository Entry # A1 134-B; Office of the Assistant Chief of Stuff for Intelligence, G-2  RG319; National Archives at College Park, MD

 

 

 

笹川良一の調書

 

Agent Report, Kawashima Yoshiko, 22 October 1949; XA510659 Yoshiko Kawashima Vol II of II (Folder 1 of 2); Intelligence And Investigative Dossiers—Personal Name File 1939-1976 Box 389; Records of the Investigative Records Repository Entry # A1 134-B; Office of the Assistant Chief of Stuff for Intelligence, G-2  RG319; National Archives at College Park, MD

芳子に忠実で良き理解者であった秘書の小方八郎氏も芳子が処刑されたと半分信じて、噂も半分信じている、と述べています。

 


Agent Report, Kawashima Yoshiko, 17 April 1949; XA510659 Yoshiko Kawashima Vol. I of II (Folder 1 of 2) ; Intelligence And Investigative Dossiers—Personal Name File 1939-1976 Box 389; Records of the Investigative Records Repository Entry # A1 134-B; Office of the Assistant Chief of Stuff for Intelligence, G-2  RG319; National Archives at College Park, MD

 

芳子の遺体を荼毘に付し、遺骨を芳子の父の川島浪速に届けた僧侶古川大航氏とも面談していたようで、その調書があります。この書類には芳子が処刑されてから遺体を引き取りに行き火葬するまでのことが書かれています。 この中で古川僧侶は色々な噂があるけれども自分が引き取った遺体は芳子である、と断言しています。

 

 

 

Agent Report, Kawashima Yoshiko, 26 April 1949; XA 510659 Yoshiko Kawashima Vol. I of II (Folder 2 of 2); Intelligence And Investigative Dossiers—Personal Name File 1939-1976 Box 389; Records of the Investigative Records Repository Entry # A1 134-B; Office of the Assistant Chief of Stuff for Intelligence, G-2  RG319; National Archives at College Park, MD

それを伝えた日本の新聞もありました。この中でも「芳子の処刑について替え玉とかうわさもあるようだが、この目で確実に見たのだからそういったことは絶対ない。」と語っています。

 

 

 

数奇な運命の子帰る;

 

XA510659 Yoshiko Kawashima Vol. I of II (Folder 1 of 2) ; Intelligence And Investigative Dossiers—Personal Name File 1939-1976 Box 389; Records of the Investigative Records Repository Entry # A1 134-B; Office of the Assistant Chief of Stuff for Intelligence, G-2  RG319; National Archives at College Park, MD

色々調査は行われていましたがGHQは芳子は処刑されていた、との見解を持っていました。北平政府の公式発表だけでなく芳子の同房者及び処刑現場にいた二人の米国人ジャーナリストTony Ullstein (United Press)、Jim Burke (Time-Life)の目撃談の方を重視しました。

 

 

 

G-2 GHQ, Inter-Office Memorandum, Subject: Kawashima Yoshiko, Date:26 May 1949; XA510659 Yoshiko Kawashima Vol. I of II (Folder 1 of 2) ; Intelligence And Investigative Dossiers—Personal Name File 1939-1976 Box 389; Records of the Investigative Records Repository Entry # A1 134-B; Office of the Assistant Chief of Stuff for Intelligence, G-2  RG319; National Archives at College Park, MD


Exhibit I; XA510659 Yoshiko Kawashima Vol II of II (Folder 1 of 2); Intelligence And Investigative Dossiers—Personal Name File 1939-1976 Box 389; Records of the Investigative Records Repository Entry # A1 134-B; Office of the Assistant Chief of Stuff for Intelligence, G-2  RG319; National Archives at College Park, MD

 

しかし芳子生存説はその後もすたれることなく、年老いた芳子を見た、という証言もあったようです。 実のところはどうだったのでしょうか? 時代を問わず話題をふりまくのは、とても芳子らしいと思います。(MU)