清王朝が消滅し、中国が内乱で荒れていた時に、中国に置かれていた関東軍が勢力を拡大し満州国を設立しました。その時に川島芳子という女性がスパイとして活躍し「東洋のマタ・ハリ」と呼ばれ話題になりました。 1932年に発表された村松梢風の「男装の麗人」という小説のモデルとしても有名になりました。
米国公文書館で川島芳子の資料がありました。
Yoshiko Kawashimaというフォルダーがあります。
XA510659, Yoshiko Kawashima Vol II of II (Folder 2 of 2); Intelligence And Investigative Dossiers—Personal Name File 1939-1976 Box 389; Records of the Investigative Records Repository Entry # A1 134-B; Office of the Assistant Chief of Stuff for Intelligence, G-2 RG319; National Archives at College Park, MD
川島芳子の生い立ちが書かれた書類があります。それに言葉を加えながら少し紹介していきたいと思います。
Exhibit III, Report of Yoshiko Kawashima; XA510659 Yoshiko Kawashima Vol II of II (Folder 1 of 2); Intelligence And Investigative Dossiers—Personal Name File 1939-1976 Box 389; Records of the Investigative Records Repository Entry # A1 134-B; Office of the Assistant Chief of Stuff for Intelligence, G-2 RG319; National Archives at College Park, MD
川島芳子が注目されたのはまずその出自にあります。1907年に清朝の皇族の粛親王の第14王女として北京に生まれました。1915年に来日し川島浪速の養女となります。この川島浪速という人は中国語を学び義和団の乱の頃には日本国陸軍の通訳をしていました。その頃に芳子の父の粛親王と親しくなり、粛親王が北京で警察学校を開設した時に総監督として選ばれました。1911年に辛亥革命が起こった時に粛親王とその家族は北京から旅順に逃げ、そこで住居を構えました。川島浪速はその時も手伝ったようです。
芳子は日本に来た当時は東京の学校に通っていました。養父の川島浪速が郷里の長野県松本市に転居したので松本高等女学校に聴講生として通学していました。髪を短くして男装を始めたのは17歳の時でした。1927年に日本で勉強していた蒙古族の王子と結婚しますが、3年ほどで離婚したようです。
もともと奔放な性格でしたが、離婚後上海に渡りそれから諜報に関わるようになりました。1930年頃に上海に駐在していた武官の田中隆吉少佐に情報を提供していたようです。1931年に満州事変が起こった時に関東軍に協力して皇帝溥儀の夫人の皇后椀容を天津から旅順に連れ出しました。1932年には中国人を武装させて関東軍の進軍に一役買いました。
満州国が樹立し軌道にのり東京に大使館を置くようになると、芳子も東京に戻り社交界で活躍するようになりました。1936年には中国の天津で「東興楼」という中華料理レストランをオープンします。
芳子の印象について書かれている資料がありました。
Hq., CIC Metropolitan Unit No.80 APO 500 File 80-K-78; 441-700272 18 May 1945 Subject: Miss KAWASHIMA Yoshiko; XA 510659 Yoshiko Kawashima Vol. I of II (Folder 2 of 2); Intelligence And Investigative Dossiers—Personal Name File 1939-1976 Box 389; Records of the Investigative Records Repository Entry # A1 134-B; Office of the Assistant Chief of Stuff for Intelligence, G-2 RG319; National Archives at College Park, MD
これは日本国陸軍に所属しており関東軍参謀も経験し、戦後戦犯容疑で巣鴨拘置所に拘置されていた和知鷹司氏からの話です。和知氏は芳子とは一度も一緒に働いたことはないが、中国国内の他の地域での情報のブローカーのような存在であったのではないか、そしてそれは男性との付き合いとお金のためだった、ということを言っています。麻薬中毒で男性への関心が過剰であったとも言っています。嘘つきで目立ちたがり屋。よほど相性が悪かったのでしょう。このインタビューをした調査官の印象では和知氏は川島芳子と関係があるということを怖れて嫌っており話の中で何度も「あの人は良くない、信用できない。」と語っていたそうです。
和知氏と同じように芳子について触れている人物が他にもいました。堀内文次郎陸軍中佐の息子の堀内晴文氏は芳子のことを14年間ほど知っていたそうです。調査官との面談の中で芳子は男好きでいつも男の人を求めていたと語っています。これは堀内晴文氏がそのように語っているページです。
Agent Report, KAWASHIMA YOSHIKO, 23 March1949, CTS-702 441-700272 TK-TOK-K-78 (10); XA 510659 Yoshiko Kawashima Vol. I of II (Folder 2 of 2); Intelligence And Investigative Dossiers—Personal Name File 1939-1976 Box 389; Records of the Investigative Records Repository Entry # A1 134-B; Office of the Assistant Chief of Stuff for Intelligence, G-2 RG319; National Archives at College Park, MD
しかし、川島芳子の秘書の小形八郎氏は、芳子が悪意はないが嘘をつき人を困らせたり、そのせいで嫌われたりする、そして彼女の性格はとても複雑であることは認めていますが、その一方で献身的で大胆かつ優しいと述べています。彼女は自分の家臣、召使いや動物が大好きでした。自分の召使いが一週間の休暇を取る時、離れ離れになるのを嫌がりました。動物にもとても優しくペットの猿が悪さをしても決して怒りませんでした。またその猿が死んでしまった時3日間泣き続けました。小形氏が中国人に逮捕され身ぐるみをはがれシャツとパンツで寒さに震えていたのを知り、演技で泣いたりすねたりして小形氏に衣服が渡されるようにしたそうです。
Exhibit II, “The Story of Kawashima Yoshiko” (by Ogata Hachiro); XA 510659 Yoshiko Kawashima, Vol I of II (Folder 1 of 2); Intelligence And Investigative Dossiers—Personal Name File 1939-1976 Box 389; Records of the Investigative Records Repository Entry # A1 134-B; Office of the Assistant Chief of Stuff for Intelligence, G-2 RG319; National Archives at College Park, MD
資料の中に写真もありました。
Inclosure V; XA510659 Yoshiko Kawashima Vol II of II (Folder 1 of 2); Intelligence And Investigative Dossiers—Personal Name File 1939-1976 Box 389; Records of the Investigative Records Repository Entry # A1 134-B; Office of the Assistant Chief of Stuff for Intelligence, G-2 RG319; National Archives at College Park, MD
この着物の写真は長野県松本市の川島浪速の家で1930年ころ撮影されたものです。
Inclosure III; XA510659 Yoshiko Kawashima Vol II of II (Folder 1 of 2); Intelligence And Investigative Dossiers—Personal Name File 1939-1976 Box 389; Records of the Investigative Records Repository Entry # A1 134-B; Office of the Assistant Chief of Stuff for Intelligence, G-2 RG319; National Archives at College Park, MD
1933年か1934年頃に中国の天津の自宅で撮影されました。一緒に写っているのは親戚の娘さんです。
この写真を見ると、イメージされている芳子とはかなり違いますが、皆さんどのように感じられたでしょうか? (MU)