食の安全性が色々と問われる時代になりました。
食事は生活には欠かせないものですし、直接体内に入るものなので神経質になるのもやむを得ません。
食べ物のことを考えていた時に、終戦後の日本人はどのような食生活をしていたのだろうか、ということに興味がわきはじめました。
戦後間もなくは食糧難が厳しく、食べ物をかき集める為にほとんどの国民が日々を過ごしていたということはよく聞くことです。小説や随筆などの文学にもそういう光景が描写されていました。配給だけではとても足りないので、買い出しの為の休暇が会社で認められていた、ということも読んだことがあります。特に都市部に住んでいた人たちは、満員の電車に揺られて農村の人に頭を下げて着物などと食糧を交換していましたが、それでも十分な量には満たなかったことも多かったようです。
どのようなものを食べていたかというと、サツマイモやかぼちゃの蔓、大麦やキビ等の穀物であったようです。アメリカからの放出物資もありましたが、それは本国では家畜のえさとなりうるトウモロコシの粉などであったようです。
ここ米国公文書館には戦後の日本の写真が色々あり、当時の様子が分かるものがあるかどうか調べてみました。
Photograph No.SC-216105, Line-up of Japanese civilians for issue of potatoes on rations. (Fukoku, Honshu, Japan), 10/16/1945, Record Group 111; National Archives at Collage Park, MD
この写真は芋の配給の写真です。長蛇の列が出来ています。
Photograph No.SC-216106, Weighing and issuing of potatoes by
ration board. (Fukoku, Honshu, Japan), 10/16/1945, Record Group 111; National Archives at Collage Park,
MD
次のような写真も見つけました。
Photograph No. SC-287393, Nutrition; Food poured into individual containers, community
kitchen, 6/27/1946, Record Group 111; National Archives at Collage Park, MD
Photograph No. SC-287396, Nutrition: Eating, community kitchen, 6/27/1946, Record Group
111; National Archives at Collage Park, MD
この2枚の写真には、戦災同胞室いう施設の中に共同炊事場があったようで、そこでの食事の配給の様子と食事をしている親子の様子が写されています。男の子のお皿には豆のようなものが載っています。男の人の側にある缶は1枚目の写真で配給された何か汁物のようなものでしょう。
上の共同炊事場での写真は1946年のものですが、1947年に撮影された写真で、比較すると面白い写真もありました。
Photograph No. SC-291694, Fast service at Tokyo PX
restaurant; Waitresses await food being prepared before serving it to customers eating dinner at the Tokyo PX restaurant in Tokyo, Japan. Fast service and a varied menu keeps the PX
restaurant constantly crowded at meal times, 9/3/1947, Record Group 111; National Archives at Collage Park,
MD
この写真は米軍基地内のお店の中にあるレストランの厨房の写真です。キッチンでウェイトレスがお客さんの食事が出来るのを待っています。
厨房の様子や並べられた食べ物、また働いている人の服装などがずいぶん上の2枚の写真と違います。
1950年過ぎくらいから生活物資も行き渡るようになり、食糧事情も回復し始め芋や穀物を食べることも少なくなったようです。
こういった戦後の食糧難を経験した人にとっては、現代の抱える食の問題などは、些細なものなのだろうなあと思います。 (MU)