米国国立公文書館には日本国憲法関係の資料がたくさんあります。もちろん、その関係の資料をすべて見たわけではありませんが、非常に興味深いと思われる資料がいくつかありましたので今回はそれらをご紹介したいと思います。
明治期に作成されて以来、日本が敗戦を迎えるまで効力を持ってきた大日本帝国憲法(明治憲法)の改正は、戦後の占領期政策の中でも大事なものとされ、すでに1945年秋から占領軍から日本政府へのその改正に向けての指示がされていました。当時の政府ももちろん新たな憲法作成へ向けて動いていましたが、他の民間団体や政治団体も独自の憲法案の作成にむけて動いていました。中でも憲法研究会という民間団体による草案は連合国軍最高司令官であったダグラス マッカーサー(Douglas MacArthur)や関係者によって高く評価され、現在の日本国憲法の原案となったと言われています。
連合国軍最高司令官であったダグラス マッカーサー(Douglas MacArthur)の政治顧問であったジョージ アチソン ジュニア(George Atcheson Jr. )が、1945年11月7日に大原問題研究所の労働経済学者 森戸辰男との話を聞き、一週間後、アチソンはその件について、国務省に報告をしていました。森戸辰男との話の概要は、日本国憲法の作成においては、多くの人間の参加を必要とし、最も重要な点は国民の権利を守ることであること、天皇制の民主化、経済及び政治の民主化の促進などまで触れられていました。同年12月26日に この森戸辰男を含む憲法研究会が、新しい憲法の草案を占領軍に提出しました。1946年1月2日にアチソンから国務省に送った資料には、その憲法研究会の草案の英訳が添付されていました。
Left: RG84 Records of the Foreign Service Posts, Entry UD2828 Japan: Office of the US
Political Advisor for Japan, Tokyo, Classified General Records 1945-1952, Box 3 National Archives at College Park, College Park, MD
Right: RG84 Records of the Foreign Service Posts, Entry UD2828 Japan: Office of the
US Political Advisor for Japan, Tokyo, Classified General Records 1945-1952, Box 12 National Archives at College Park, College Park, MD
その憲法研究会の草案は占領軍内でも高く評価されたようで、それを示す資料が、下記のようにありました。
RG331 Records of Allied Operational and Occupation Headquarters WWII SCAP, Entry UD 1390:
Government Section Central File Branch Miscellaneous Administrative File and Reports 1945-52, Box 2225 National Archives at College Park, College Park, MD
そのあともマッカーサーの意向も含めて占領軍内でもまた日本側でもいろいろな議論がされていくことになりました。この過程に関する資料もたくさんありますが、ようやく日本国憲法案として整備され、1946年(昭和21年) 8月24日に衆議院で修正議決され、貴族院に渡されました。その資料の前文を見ると、元の文に修正されるべき言葉が横に添えられていますが、その言葉の修正にも時間をかけて一生懸命修正したと伺われ、私は素直にこうした資料に感動しました。
RG 319 Records of the Army Staff Entry NM3-82: Assistant Chief of Staff G2 Intelligence,
Administrative Division Document Library Branch Publication Files 1946-51, Box 991 National Archives at College Park, College Park, MD
1946年11月3日にこの日本国憲法は発布され、翌1947年5月3日にこの憲法が施行されることになりました。この5月3日の憲法記念日には、この日本国憲法がどのようなものであり、国民の生活がどう変わるのかをわかりやすく説明をした、憲法普及会編の、”新しい憲法 明るい生活“というタイトルの冊子が、発行されました。
RG331 Records of Allied Operational and Occupation Headquarters, WWII SCAP, Entry UD 1390:
Government Section Central File Branch Miscellaneous Administrative File and Reports 1945-52, Box 2225 National Archives at College Park, College Park, MD
また、この憲法記念日には皇居や帝国劇場で式典が催されました。下記の写真は、それらのときのものです。
Left: Photograph No.SC-285353. “Constitution Day Gathering in Tokyo” May 3, 1947, Record Group 111 Box 553 National Archives at College Park, MD.
Right: Photograph No SC-285357. “Constitution Day Celebrations in Japan” May 3, 1947, Record Group 111 Box 553 National Archives at College Park, MD.
その憲法が発布された1946年11月3日はその後文化の日として決められました。この文化の日に関する写真もありました。
Left: Photograph No.SC-309824. “Festival at Emperor’s Palace Plaza, Tokyo, Japan” November 3, 1948. Record Group 111 Box 641 National Archives at College Park, MD.
Right: Photograph No SC-309826. “Festival at Emperor’s Palace Plaza, Tokyo, Japan” November 3, 1948. Record Group 111 Box 641 National Archives at College Park, MD.
1948年 (昭和23年)6月18日の第2回国会文化委員会第7号における日本の祝日についての話し合い(http://kokkai.ndl.go.jp/SENTAKU/sangiin/002/1344/00206181344007.pdf:国会図書館、国会議事録検索システムより)においては、“憲法の発布日は、いかなる国もまだやったことのない戦争放棄を宣言した重大な日であり、日本としては忘れ難い日なので、是非ともこの日をのこしたいこと、戦争放棄にのっとり、自由と平和を愛し文化を進めるといった気持ちのもとにこの11月3日を文化の日とした。”といったことが話されていました。この議事録を見ても、当時の政治家たちもあの戦争における惨禍を二度と繰り返してはいけないのだといった平和への非常に熱い思いを抱いていたことがうかがわれます。
戦後70年を迎える今年は、過去の戦争をあらためて問い直し、謙虚に学んでいく年であるかと思います。しかしながら、現代の世界情勢をみれば益々不安定な政治情勢になり、様々な暴力とテロが横行し、また日本国内を見ても、家族、隣人や顔見知りによる暴力で子ども達の命が奪われる事件が後を絶ちません。そうした事件を耳にするたびに実に暗澹たる気持ちになります。人間一人一人が平和に生きることができる世の中にするためにはどうすれば良いのかを考えます。また、同時にあの戦争についてもっと考えなければと思います。
戦場で壮絶な戦死を遂げた人々、銃後を守る立場にいながら、原爆、そして様々な空襲で亡くなった人々、戦闘に巻き込まれた沖縄の人々、そして、アジアの人々の犠牲を考えたとき、また同時に戦争を生き延びた人々がどんなに必死で戦後を生きてきたのかを考えたとき、あのような悲惨な戦争は二度と経験したくない、してはいけないのだという強い思いがあったと思います。そうした人々の決意や願いが日本国憲法には込められていたのだと思います。この憲法の理念と実践をこの現代にどう生かすのかを考えることは決して簡単なことではないと思いますが、この憲法の意義と役割についてもっともっと私達一人一人が真摯に考えていくべきだと思います。
尚、日本国憲法の成立については、日本の国会図書館にある資料をもとにわかりやすく解説した、国会図書館の電子展示 ”日本国憲法の誕生“(http://www.ndl.go.jp/constitution/)というものがあり、非常に参考になります。(YN)