第二次世界大戦における黒人兵士たち

米国国立公文書館でいつものように資料を読んでいると、米軍の部隊名のうしろに括弧書きで黒人(Negro)と書かれているものがありました。 その前後の資料にもそういう表記がされていました。 以下の資料は太平洋戦争時の陸軍のエンジニア関係のものです。

 

Incoming Message 31 Oct. 1945, M76, Miscellaneous Records ("M" Series) 1942-1945 M74-M77, Historical Division Records Regarding Operations in the Southwest Pacific Area(“SWPA Files”), Records of the Office of the Chief of Engineers, Record Group 77; National Archives at College Park, College Park, MD

 

“Engr Const Bn” (Engineer Construction Battalion: 工兵大隊) の後に括弧書きで”Negro“と書かれています。

 

以前にも軍の戦闘記録資料を読みましたが、上記のような人種について書かれている資料には出会いませんでした。考えてみると、当時はまだ白人と黒人が隔離されていた時代ですし、黒人兵士ばかりの部隊もあるのも頷けます。

 

そこで、米国国立公文書館に黒人兵士についての関係資料があるか少し調べてみました。

 

“The Negro Soldier, 1944”という、まさにそのものの動画がありました。そして、その上映に関する資料もありました。この動画は1944年にWar Department(戦争省)が作成したプロパガンダ用のものです。この動画情報については米国公文書館のサイトの中の、http://research.archives.gov/description/35956 にあり、そこからYouTubeにつながり、そこで見ることができます。

 

黒人教会での牧師の話を通じて、黒人の人々の活躍を描くという方法をとっています。1770年のボストン虐殺事件に関係した黒人男性の話から始まり現在各界で活躍している黒人のプロフェッショナルまでをとりあげ、後半は教会に来ている女性が軍に入隊して将校に昇進した息子の軍隊での様子を語るという形で描写し、黒人の人々の過去から現在に至るまでの貢献を謳いあげています。

 

1936年のベルリンオリンピックで金メダルをとった、100メートル走のJames Cleveland Owens, 走り高跳びのCornelius Cooper Johnsonの姿も出てきます。余談になりますが、走り高跳びで6位の田中弘選手もこのフィルムに出てきます。この短編映画はとても好評で、各自治体・公共団体から引き合いの手紙が後を絶たなかったようです。 色々な新聞にも紹介されました。

 

Trade Union Service Newspapers, “The Negro Soldier”, “The Negro Soldier”, Civil. Aide to the Secretary Subject File 1940-47, Office, Asst Secretary of War, Secretary of War, Record Group 107; National Archives at College Park, College Park, MD

 

この映画は今までとは違い、黒人の人々の勤勉さや成功をとりあげていて、彼らの意識を高めたと同時に白人の黒人に対する意識にも影響を与えました。 

 

実際の黒人兵士たちの写真も、米国国立公文書館の写真リサーチルームに、バインダーに入ったアルバムのような形であります。戦場や訓練の場でのスナップ写真もあるのですが、それらとは少し違った写真をここでご紹介したいと思います。

Photograph No. SC-426441 “Members of the 6888th Central Postal Directory Battalion take part in a parade ceremony in honor of Joan d’Arc at the marketplace where she was burned at the stake” May 27,1945 Pfc. Stedman, Record Group 111; National Archives at College Park, College Park, MD

 

上記の写真は、フランスでジャンヌダルクが処刑されたとされる広場を行進する、黒人女性兵のパレードです。この女性たちは郵便関係の部隊に所属していました。

 

Photograph No. N-22962 “American Negro nurses commissioned second lieutenants in the U.S. Army Nurses Corps, limber up their muscles in an early-morning workout during an advanced training course at a camp in Australia. The nurses, who already had extensive training in the US, will be assigned to Allied hospitals in advanced sectors of the southeast Pacific theater” February 1944, Record Group 208; National Archives at College Park, College Park

 

この黒人女性達は看護婦さんです。看護婦さん達もこうやって集団で訓練するとは知りませんでした。真ん中の列の一番後ろの女性は笑っていますので、厳しい訓練ではなさそうです。

 

Photograph No. NS-3753-2 “Pvt. Lloyd A. Taylor, 21-year-old transportation dispatcher at Mitchel Field, New York City, who knows Latin, Greek, Spanish, French, German and Japanese, studies a book on Chinese. A former medical student at Temple University, he passes two hours a day studying languages as a hobby” N.d. , Record Group 208 ; National Archives at College Park, College Park, MD

 

この写真の若者は、Temple Universityの医学生でラテン語・ギリシャ語・スペイン語・フランス語・ドイツ語・日本語を知っており、さらに中国語を勉強しています。語学を勉強するのは趣味だそうですが、毎日2時間その趣味に費やすそうです。

私は当初、黒人兵士達は前線での戦闘部員ではなくて、エンジニアや厨房で働くといった現場を支える裏方の部署で働いていたと思っていましたが、実際戦闘に参加した兵士達がいました。ヨーロッパ戦線でも戦い、壮絶な硫黄島の戦いでも黒人兵士は白人兵士に交じって参戦していました。クリント・イーストウッドがこの硫黄島についての映画、”Flags of Our Fathers(邦題:父親たちの星条旗)”と”Letters from Iwo-Jima(邦題:硫黄島からの手紙)”の2本の映画を作っています。

 

黒人映画監督のスパイク・リーが、”Flags of Our Fathers”について「黒人兵士もいたはずなのに、白人しか出てきてない。」というクレームをつけて、それが双方エスカレートしてかなりの口論となったようです。

 

実際にこの”Flags of Our Fathers”を見て、本当に黒人兵士が出てきていないのか確認してみました。 映画の最初の方で、硫黄島に向かう船の上で上官の話を聞く兵士たちを映しているシーンでは、4人の黒人兵士がいました。 そして、最後のクレジットが流れる時に映画のショットからの写真が何枚も映るのですが、その中にも黒人兵士の写真がありました。 擂鉢山にアメリカ国旗を掲げた3人の兵士のその後を硫黄島での凄惨な体験を思い出しながら語るというあらすじ上、白人兵士が多く登場するのは仕方がないことだと思います。 しかし、黒人兵士の存在も忘れていないクリント・イーストウッドはこの映画を作る上で適切な歴史解釈をしていると思います。(MU)