沖縄の茅葺屋根

沖縄の建物で私が一番に思い浮かべるのは首里城のような赤瓦の屋根の建物です。赤瓦の屋根は漆喰で瓦と瓦の隙間を固めているため台風に強いと聞いたことがあり、台風の多い沖縄に適した屋根なのだなあと思った覚えがあります。昔の沖縄の建築様式は赤瓦の屋根だとずっと思っていたため、米国国立公文書館にある沖縄関係のテキスト資料の中から茅葺屋根の建物の写真が出てきたときには少々驚きました。今回はその茅葺屋根の写真をご紹介したいと思います。

 

HISTORICAL RECORD ISLAND COMMAND OKINAWA GUNTO RYUKYUS 13 December 1944- 30 June 1945; WWII Operations Reports, 1940-48, Pacific Theater; RECORDS OF THE ADJUTANT GENERAL’S OFFICE, Record Group 407; National Archives at College Park, College Park, MD.  (Entry 427, Box 408)

上の写真は沖縄の民家です。屋根を見ると上側が茅葺、下側が瓦となっています。これはもともとこのような設計だったのでしょうか、それとも、瓦屋根の修理等が必要で上側だけが茅葺になったのでしょうか。写真の下側にある数字とアルファベットから1945年5月29日に撮影されたものだと思われます。この時、沖縄本島ではまだ戦闘が続いていますが、この写真の中の住民は普段通りの生活を営んでいるように見えます。

 

HISTORICAL RECORD ISLAND COMMAND OKINAWA GUNTO RYUKYUS 13 December 1944- 30 June 1945; WWII Operations Reports, 1940-48, Pacific Theater; RECORDS OF THE ADJUTANT GENERAL’S OFFICE, Record Group 407; National Archives at College Park, College Park, MD.  (Entry 427, Box 408)

この写真には再建設された沖縄の村と説明書きがされてあります。おそらく戦争で村が破壊され、茅葺の家が建て直されたのではないでしょうか。この写真は1944年12月13日から1945年6月30日までの記録として書かれている資料の中にありました。たくさんの家が立ち並び、家の外には洗濯物が干してあります。この写真の細かな内容が良くわからなかったのでスキャンした画像を拡大すると、左側に写っている子供たちだけではなく、家の前に立っている人、子供と母親らしき人など何人もの村人たちが写っているのがわかりました。左側の奥の家の向こう側にはテントがあります。

 

HISTORICAL RECORD ISLAND COMMAND OKINAWA GUNTO RYUKYUS July 1945; WWII Operations Reports, 1940-48, Pacific Theater; RECORDS OF THE ADJUTANT GENERAL’S OFFICE, Record Group 407; National Archives at College Park, College Park, MD.  (Entry 427, Box 408)

1945年7月の報告書には、家の建設についての記載があり、現地の労働者たちにより家が組み立てられ茅葺屋根が付けられている様子の写真がありました。これら住宅の建設についてはとても興味深く、石川や漢那での家の建設に27th Naval Construction Battalion(米海軍設営隊)が関わっていたこともわかりました。

 

これらの写真のあったRecords of the Adjutant General’s Office(陸軍高級副官部記録群)のWWII Operations Reports, 1940-48のシリーズは戦域、軍、軍団、師団などの各陸軍部隊に区分されており、第2次世界大戦中、または終戦直後の陸軍の動きを知りたいときには欠かせない資料です。このような資料からも米軍政府下の沖縄の様子を垣間見ることができます。(NM)