少し前の話になるのですが、3月にフィラデルフィアで開催されたアジア学会(Association for Asian Studies)に参加する機会がありました。アジア学会とはアジア全般に関して研究する学会の為、研究テーマは幅広くとても興味深い物でした。その中で今回はドキュメンタリーフィルムで印象に残った杉原千畝の話をしようと思います。
杉原千畝は1939年から1940年にかけてリトアニアのカウナスにある日本領事館に勤務し、約6,000人のユダヤ避難民に亡命するための通過ビザを発行した外交官です。日本でもドラマや特集で組まれた事があるので、ご存知の方も多いと思います。
ドキュメンタリーフィルムは、現在残り少なくなってきたポーランド系ユダヤ人の生き残りの証言者とユダヤ避難民達が降り立った敦賀市の住民の証言と合わせながら、杉原千畝の足跡をたどっていくというものでした。ナチスに迫害されたユダヤ避難民がシベリアを越え、ウラジオストックから船で敦賀市に着き、神戸からブラジルやオランダ、アメリカへと亡命していったそうです。そして、千畝氏はこの事を口外せず、彼の死後に妻が「命のビザ」という本を出版し世間に知られていったようです。
Association for Asian Studies Annual Conference March27-30,2014 Philadelphia,PA
Film Expo: He defined the tide of time Chiune Sugihara and the Saving of six Thousand A documentary film by Susanne Concha Emmrich
杉原千畝は「他の人でも自分と同じ事をするだろう」とこのフィルムの中で言っています。彼はリトアニアを去る列車を待つ間もビザを書き続けたそうです。他の人がここまでできるでしょうか?きっと彼にしか出来なかったと思います。パンフレットを掲載しました。
パンフレット右下の女性、Susanneさんが脚本家兼製作者です。もし、約30分のドキュメンタリーフィルムに興味のある方はパンフレットの右下にE-mailアドレスが記載されていますので、ご連絡を取られたら宜しいかと思います。
さて、杉原千畝関係書類もNARAにあるのではないかと思い探してみました。
杉原千畝個人に直接関する資料ではありませんが、1996年4月22日-28日 テネシー州ナッシュビルで行われたユダヤ避難民の記念式典「Memorial week honor」 杉原千畝領事のパンフレットがありました。(左資料)
息子の杉原弘樹さんが招待されています。パンフレットは記念式典の日程表などになっています。
RG200 Records of the America National Red cross
Entry#56 Personal Papers: 1950-2001
National Archives at College Park, College Park, MD
杉原千畝が「東洋のシンドラー」と知られるようになったのは戦後ずいぶん経 ってからの事です。それは千畝本人がこのことを長く口外せずいたからです。きっと人として謙虚で尊敬できるとてもすばらしい人だったのではないかと思います。また機会があれば杉原千畝の生涯を追ってみたいと思います。(SW)