今回は、1946年7月にアメリカ合衆国がマーシャル諸島のビキニ環礁で行った核実験、クロスロード作戦に関係する資料を紹介いたします。
この実験の目的は艦船や関連機器に対する原子爆弾の威力を検証することでした。また、標的にされた大小71隻の艦艇の中には戦後アメリカ軍に接収された日本の戦艦長門と太平洋戦争中に建造された軽巡洋艦酒匂も使われました。資料の中には、このクロスロード作戦の計画書や日々の報告書、結果報告等に関係する書類は勿論の事たくさんの手紙が含まれていました。
手紙の中には、市民からの水爆実験反対の抗議の手紙やWar Departmentが出した雑誌や新聞をみて応募してきた一般の市民からの手紙などがありました。手紙にはヒューマンギニー・ピッグという言葉が多く出てきます。その内容は衝撃的な物ばかりでした。これは人間モルモットの事です。水爆の実験台に自ら立候補する人たちからの手紙なのです。手紙の中には、報酬の$150,000を学費に充てたい学生からの応募もあります。さすがにこの手紙の主には落選の返事が送ってありましたが・・・
その内の何通か紹介しようと思います。
Ny Test Inquires S2-6
RG77 Record of the Office of the Commanding General, Manhattan Project
Operation Crossroads, Dec.1945-Sept.1946 Box23
National archives at College park,College Park MD
この手紙の差出人、Frank Tlapa Jr 陸軍に勤めていたが、目の障害の為に除隊した。この核実験では約4000頭の動物を実験で使うようだが、人間モルモットが1番の実験台になる事は理解できる、自分はお国の役に立つため立候補しようと思う。と書いてあります。
Ny Test Inquires S2-6
RG77 Record of the Office of the Commanding General, Manhattan Project
Operation Crossroads, Dec.1945-Sept.1946 Box23
National archives at College park,College Park MD
この手紙の差し出し人 Carl Fay Poorman はNavyで獣医の仕事をしているが、糖尿病を患っており、あと1年の命もない。1人の青年の命が爆弾やその他の事で奪われるのなら、自分の方がふさわしいと書かれています。
実験後の日々の報告書などの文書にも目を通してみましたが、動物などのその後の様子や死亡数などは記録してありましたが、この「人間モルモット」の応募者たちのその後に関してはわかりませんでした。
アメリカはこの後も13年間にわたり、ビキニ、エニウェクト環礁で66回にもわたる水爆実験を行いました。この中には1954年マーシャル諸島近海で被爆した第五福竜丸の話もありますが、これは別の機会に紹介しようと思います。
仕事を通して、現在の日本と密接な関わりのある「核」や「被爆」の資料に接する事は 大変勉強になると思っています。(SW)