ゴードン・ウィリアム・プランゲと千早正隆

アメリカでは予算案の期限内成立が見送られたため、10月1日から政府機関の一部がシャットダウンされました。私たちが調査のため通っている米国国立公文書館も閉鎖されてしまったため、シャットダウン期間中はメリーランド大学のホーンベイク図書館へ行き、ゴードンプランゲペーパーについて調査をしてきました。

 

ゴードンプランゲペーパーは、メリーランド大学で歴史学を教えていたゴードン・ウィリアム・プランゲ博士が太平洋戦争、特に真珠湾攻撃に関する研究のために収集した、日本海軍部隊が戦時中に書いた日記や地図、新聞記事、写真、真珠湾攻撃に関する重要資料のコピー、アメリカと日本の軍人や民間人に面会をして行ったインタビュー内容、関係者とやり取りをした手紙などを含む膨大な資料のコレクションです。

 

プランゲ博士はメリーランド大学で教授として教壇に立っていましたが、1942 年にメリーランド大学を休職しアメリカ海軍に入隊、1945年には占領軍の一員として日本へ赴任します。太平洋戦争終了後はマッカーサーの下で歴史課長・歴史室長を務めました。この時、多くの旧日本軍人や民間人関係者にインタビューを行いました。また、アメリカに帰国後も太平洋戦争に関する研究を続け、『トラトラトラ 太平洋戦争はこうして始まった』など、多くの著書や論文を発表しました。

 

ゴードン・ウィリアム・プランゲ(1910年7月16日–1980年5月15日)

(Wikipediaより)

 

今回、私が調査をしたのはゴードンプランゲペーパーのうち、ゴードン博士と千早正隆さんとの間でやり取りをした手紙です。千早さんは日本海軍の軍人でしたが、戦後はGHQ戦史室調査員となり、プランゲ博士に協力して関係者へのインタビューや資料の収集にあたりました。また、千早さん自身も自分の体験を基に数々の著書を出版したり、プランゲ博士の著書を翻訳し日本での出版に貢献しました。

 

二人は頻繁に手紙のやり取りをしており、その数は百通におよびます。手紙には、業務的な内容だけでなく、千早さんが日本で新たに入手した情報や写真がプランゲ博士の研究に役立つだろうと思いプランゲ博士に送ってあげたり、プランゲ博士が著書の作成中に疑問に思った事について千早さんに質問をするだけでなく、再調査を千早さんに依頼したりしており、プランゲ博士が太平洋戦争に関する研究を進める上で、千早さんを非常に頼りにしていたのだろうと感じました。また、お互いのプライベートに関することも手紙に書いており、二人がとても厚い信頼関係で結ばれていることを感じました。手紙を読み進めていくと、二人は敵国同士であったのに、終戦後はお互いに協力し、なぜ太平洋戦争が起こってしまったのかという問題に対し、どちらの国にも偏らない公平な目線で研究を進めている二人の関係性が非常に印象深く心に残りました。(YM)

 

千早正隆(1910年4月23日 - 2005年2月8日)(Wikipediaより)