メリーランド州にある米国国立公文書館では、機密指定を外され解禁となった太平洋戦争に関連した軍事テキスト資料、フィルムや写真資料がたくさん保存されており、私達はその大変貴重な資料を実際手に取り、毎日資料調査をすることができます。
太平洋戦争といえば、日本海軍機動部隊からの第一波、第二波空中攻撃隊による真珠湾への奇襲攻撃から始まった事が知られていますが、鹿児島出身の私は神風特攻隊を思い浮かべます。特攻隊とは太平洋戦争末期に編成された特別攻撃隊の事ですが、私の父方の祖父は特攻隊員だったそうなのです。特攻基地というと旧陸軍知覧特攻隊が有名ですが、鹿児島には太平洋戦争末期、知覧、国分、串良、鹿屋と4箇所の特攻基地があり、海軍の最大の特攻基地であった鹿屋からは戦争末期のたった82日間で908名の尊い命が沖縄に向け飛び立ち、二度と帰ってくることはなかったそうです。この鹿屋基地は父の出身地の隣町であり、祖父はここから飛び立つ予定だったそうなのですが、健康診断で許可が下りなかったのか、病気になったのか、今となっては確かめるすべはありませんが、とにかく祖父は飛ばずに生きて帰ってくることができました。父は戦後生まれですから、この時に祖父が飛び立っていれば私は生まれていなかったことになります。
米国国立公文書館5階には写真の閲覧室があります。そこでは第二次世界大戦や戦後の日本占領に関する写真を含め、90万枚以上の写真を閲覧することができます。その中には私の出身地、鹿児島や鹿屋基地の写真もありました。
(戦後の鹿児島市を城山から一望)
Photograph SC336007; “ Views of Kagoshima city and Harbor with MT Sakurajima.” 11 Dec 1949; Records of the U.S.Army Photo-turnbull, Record group 111-SC; National Archives at College Park, MD
(終戦直後の鹿屋基地)
Photograph 343540; “ Bomb damage at Kanoya air field, Showing wrecked planes and hangers.” 2 Sep 1945; Records of the official U.S.Navy photo, Record group 80-G ; National Archives at College park, MD
終戦直後の鹿児島の写真をアメリカで見る機会があるというのは不思議なものです。
戦争を知らない私が日本の歴史を振り返り、学びなおすよい機会であり、私の子供や後世に伝えていく事が大事なのではないかと思っています。(SW)