米国国立公文書館にはテキスト資料の他、地図資料、映像資料、写真資料など色々な資料が所蔵されています。今回、久しぶりに広島の原爆投下に関連する写真資料を見る機会がありました。
私は広島県の出身です。幼い頃から家庭でも学校でも平和学習というものにとても身近な環境で育ってきました。学生の頃は、頻繁に行われる平和学習や広島原爆資料館への遠足、夏休みの登校日8月6日(原爆投下の日)に学校で黙祷を捧げることなどは当たり前の事と思っていました。
しかしながら、広島市民として原爆投下は忘れてはならないことであり、その事を子供の頃からしっかりと学ばせ、後世へと繋いでいくという強い思いの中で全てが行われていたのだということを、最近他県の出身者の方々と会話する中で気付きました。そしてまた広島に生まれた故の経験であると強く感じさせられました。
広島でも学校によって平和学習のありかたは様々だとは思うのですが、私が一番覚えている平和学習の内容というのは原爆ドームに関する学習です。一般の方には原爆ドームの本当の名前が、「広島産業奨励館」というよりも、やはり原爆ドームといった方がすぐに分かると思うのですが、平和学習の中のひとつに原爆ドームの建築方法がありました。あの建築方法であったからこそ原爆投下にも耐えられたという風に子供心にもしっかりと記憶しています。
広島産業奨励館は爆心地から北西約160メートルの至近距離で被爆しました。広島市内の建物は一瞬にして倒壊したといわれている中、数少なく残っている他の建物の中でも唯一外観が分かる形で残ったといわれている建物なのですが、このドーム型の建物であったため、爆風が上方からほとんど垂直に働いたために建物の中心部(ドームの部分)は倒壊を免れたと言われています。原爆が投下される前から、この建物の出現は当時の広島市民にとって大胆で非常に珍しく広島名所の一つに数えられたということです。その姿は原爆投下後の変化はありましたが、現在に至るまで原爆資料館と並んで広島名所の一つのままその地に残っています。 (MJ)
(被爆後の原爆ドーム)
Photograph No.77-AEC-51-4029 Prints: Atomic Bomb Damage to Hiroshima and Nagasaki Japan, August 1945; Records of the Office of Chief of Engineers, Record Group 77-AEC National Archives at College park, MD
(被爆後の広島 場所は不明)
Photograph No. 243-GWE-HIROSHIMA-10 Prints: General Photographic File for Japan, 1945: Records of the U.S .Strategic Bombing Survey, Record Group 243-G National Archives at College park, MD