昨年の9月27-28日の2日間にわたり、カリフォルニア州のサンデイゴにおいてJPAC(Joint POW/MIA Accounting Command:米国戦争捕虜及び戦争行方不明者遺骨収集司令部)の主催によるシンポジウムに参加しました。
JPACとは、米国防省の指揮下にあるもので、過去の戦争や紛争によって戦争捕虜(Prisoner of War)及び戦争行方不明者(Missing in Action )となり、かつての戦闘地またはかつての敵国領内にいまだに眠っている米兵の遺骨の所在を探索し、遺骨を収集する事業を担っている組織です。歴史学者、考古学者、人類学者 などの様々な分野の専門家及び米軍各部隊の専門家によって組織され、米兵遺骨の所在の捜査及び分析(Investigation&Analysis)、発掘(Recovery)、身元確認(Identification)、そして、家族のもとへの返還と完了(Closure)までの一連の過程を担っており、現在は第2次世界大戦、朝鮮戦争、ベトナム戦争及び冷戦時のそれぞれの米兵捕虜及び戦争行方不明者の遺骨を捜索しています。この組織に関する詳細情報はこの組織のサイト、http://www.jpac.pacom.mil/ にあります。
第2次世界大戦の太平洋戦線における米兵の戦没者遺骨収集事業において、近年の米国内の民間団体の活躍、貢献度は大変著しいものとなっています。今回のシンポジウムはこうした民間団体との相互理解や情報交換を図り、また戦没者遺骨収集のガイドラインの整備をともに考えることを通じて、よりよい成果を出し、さらに遺骨収集事業を推進していきたいという目的の為、JPACが米国内の戦没者関係調査及び発掘を行う民間団体を招聘したものでした。ニチマイは、米兵の遺骨収集事業には直接関係ないのですが、これまでの日本の戦没者関係資料調査においての実績がJPACの歴史家によって高く評価された結果、このシンポジウムに招待されることになりました。
100名ほどの参加者で開催された2日間のシンポジウムは、朝から夕方までのセッションがぎっしり詰まったものでした。その内容は、JPACとその他の米国内の戦没者遺骨収集関連組織との関係について、米兵遺骨情報の収集と情報分析の仕方、特定の米兵遺骨の発掘にいたるまでの慎重な準備と調査、現場での発掘を専門とする部隊の詳細、考古学的なアプローチを通じての身元確認までの慎重な分析と鑑定過程、戦没者事業に対する一般の見方及び期待について、JPACが抱える問題点と課題、民間団体による遺骨収集事業推進においての法的手順といった多岐にわたるものでした。こうしたシンポジウムに初めて参加した私はあまりの多くの情報に圧倒される思いでした。しかしながら同時に米国の戦没者遺骨収集事業が、いかに専門的、科学的、組織的、かつ総合的に行われているかを実感せずにはいられませんでした。また、発掘に関しても、海兵隊、海軍、陸軍の違いを超えて、様々な軍部隊の専門家が歴史学者や考古学者または人類学者とともに行動をともにしながら、遺骨が存在する場所(時には奥深い山であったり、海底であったり、軍隊の特殊な訓練を重ねた人間でなければ探索はもちろん、その場所に行く着くことができないような場所)に行き発掘作業にあたるということも衝撃的なことでありました。
シンポジウムで入手したJPACのチラシの一部より
また、JPACは、国防省内の別の組織であるDPMO (Defense Prisoner of War /Missing Personnel Office:米国防省戦争捕虜行方不明担当局)とともに米国以外の国々の遺骨収集事業に絶えず注目をしています。第2次世界大戦で行方不明の米兵は73677名であり、その半数以上が太平洋戦線でした。例えば、ソロモン諸島では空中戦で900名、地上戦で600名、海上戦で4500名がそれぞれ戦死し、合計で6000名の米兵が行方不明であるとのことでした。また、旧ビルマ(現ミャンマー)では600名、フィリピンでは7200名、インドでは430名、パプアニューギニアでは2085名、パラオでは1945名、中国では1100名の米兵が行方不明となっています。日本の硫黄島では陸海空軍合わせて約1200名の米兵が行方不明であり、JPACとしてはそうした米兵の遺骨も日本の遺骨収集事業の中で発見されることもありうると考え、今後の日本の遺骨収集事業に注目をしているということでした。DPMO (Defense Prisoner of War /Missing Personnel Office:米国防省戦争捕虜行方不明担当局)のサイトには日本関係情報も掲載されています。http://www.dtic.mil/dpmo/news/factsheets/documents/japan_factsheet.pdf
このJPACのシンポジウムに参加した米国内の戦没者遺骨収集民間団体の多くは、JPACの縮小版ともいうべき組織として存在しており、歴史資料調査を担当する人々、実際に現場に行って発掘作業をする人々に分かれながらも連携し、さらに発見した遺骨を鑑定する専門家を集めて研究室を整備しているということでした。中には私財をなげうって、まったくの個人で遺骨収集をしている方もいらっしゃいました。そうした方々の使命感そのものと、またその使命感に支えられてそれぞれ自分の仕事をもちながらも、そうした民間団体の一員として一つ一つのプロジェクトに関わり、年に何度か海外へ足を運んでおられるということで、日本にもそうした団体は規模そのものは異なっていても数多く存在していると思いますが、本当に頭が下がる思いでした。
このJPACのシンポジウムへの参加を通じて、捕虜として死亡、または戦闘で行方不明となった米兵に対して、“自分たちは決してそうした兵士を忘れない”ということ、また、”彼らが家族のもとに帰ってくるまで自分たちはこの使命を貫く“という、遺骨収集事業を国として担うJPACの使命感とその多岐にわたる活動の実績、またJPACを支え、また同時に独自に活動を展開している民間団体の存在意義とその実績について貴重なことを学ぶことができたと思っています。(YN)
シンポジウムで入手したJPACのチラシの一部より