私達は普段調査をしている米国国立公文書館を離れ、バージニア州クアンティコにある海兵隊基地に行きました。ワシントン中心部から車で45分ほど南に下り、高速道路を降りると、硫黄島戦で有名な、星条旗を掲げる海兵隊員の小さな銅像が建っています。広々とした敷地内には、海兵隊の博物館や、海兵隊の大学があります。
NWDNS-80-G-413988; ARC Identifier: 520748; Photograph of Flag Raising on Iwo Jima, 02/23/1945; General Photographic File of the Department of Navy, 1943 - 1958; General Records of the Department of the Navy, Record Group 80; National Archives at College Park, College Park, MD. [retrieved from the National Archives website at http://www.archives.gov/historical-docs/todays-doc/index.html?dod-date=223 , May 24, 2011]
今回は、海兵隊公文書館において、硫黄島の戦いの資料を見せて頂く貴重な機会を得ました。海兵隊、海軍の公式書類、硫黄島及び小笠原諸島の地図類、またたくさんの太平洋戦争の記録写真を見せて頂きました。
This photograph was downloaded from the General Alfred M. Gray Marine Corps Research Center website at http://www.marines.mil/unit/tecom/mcu/grc.
米国国立公文書館において米軍作成の地図は目にしていますが、今回初めて日本軍が作成した手書きの地図を見ました。擂鉢山の壕から出てきた地図だと説明書きにありました。当時のアジア太平洋地域における、父島を中心とした各重要地点までの距離が、地図上に示されていました。筆で書かれており、それぞれの国や場所は絵の具により色が分けられています。その色は、六十年以上たった今も、鮮やかです。地図の裏側を見ると、当時の業務日誌を貼りつけて、地図を補強していることがわかりました。誰が、どのような思いで、この地図を作り、擂鉢山の壕の中で使用していたのだろうかと思いをめぐらせました。当時の敵国であるこのアメリカにおいて、六十年以上前の日本軍作成の地図が大切に保管されており、現物を見ることができたのは感慨深いものでした。
写真資料も、国立公文書館では見たことのないものがありました。食料不足で苦しんでいた日本とは違って、米軍は上官の誕生日のために、大きなバースディケーキを用意するほどの余裕が伺えました。また、戦闘中でも、米軍の医療設備が整っている様子がわかりました。(HK)